【X’mas Advent】1224(MENTALIST:Cho/Jane)

 

 

 

「チョウさん、クリスマスはどうします?」
若くて優秀なFBIテキサス支局の分析官であるワイリーの無邪気な問いかけにチョウはいつもの通り、無表情で顔を上げたが、特に何の返事もせず、そのまま手元の書類に目を落とした。
ワイリーも無視をされることに慣れているのか、また聞こうっと、と一人で納得して仕事を開始する。
「で、どうするの?」
しかし、そんな二人の慣れたやりとりをそのままにしておかない人間が一人いた。それがパトリック・ジェーン、チョウの無表情だとか鉄面皮だとかの奥のあれこれをそれなりに読み取れる男だったりする。
だから、今チョウがジェーンが会話を聞き取れる位置にいたから返事をしなかったのだ。
都合が悪い答えをしようとしていたわけでもないし、予定もなかったけれど。
「何がだ」
「だから、クリスマス。ワイリーと過ごすの?」
その言い方はどうかな、と思うがやはりチョウは顔を上げただけで、何も答えなかった。
なぜなら、その問いを昨日、自分が口にしたのだ。
目の前の、波がかった柔らかなブロンドに青い目、柔和な表情でこちらを見つめる男に対して。
その時の答えはこうだ。
――さあ、どうかな
それはいつものジェーンらしい答えだったのだけれど、チョウとしては覚えがないぐらいに緊張したので、いささか具合が悪いと言ったところだ。そういう返事がわかっていて問うたことだったので、ショックだとかそういうのは感じなかったが。
それならなぜ緊張したのか、もし仮にかつての同僚リグスビーが事情を知っていたなら尋ねただろう。
そして自分はその疑問にも無視を決め込んだはずだ。
「さあな」
簡単に答えられるぐらいなら緊張などしないのだ。ただ、去年ならば緊張もしなかったし、そもそも問うこともなかった、ということなのだ。
彼の世界は、変わった。
それだけは明らかなことだ。
「ワイリーは家族と一緒に住んでいそうだよね?彼の素直なところを見るときっと良い家族なんだろう。ちょっと風変わりなことを言っても、否定したりしないだろうし、得意なことを存分に伸ばしてくれたんだろうなあ」
ペットもいそうだし、おしゃべりなママと鷹揚なパパかな?
ちょっとテキサンぽくないかもしれないね。
かわいい妹がいるかも。きっと彼女もおしゃべりだ。
ジェーンのいつもの「想像」を聞き流しつつチョウは耳の奥に響く脈音を静かにカウントしていた。これが乱れるようならば、席を外した方が良さそうだから。
しかし、長い間。本当に長い間、こんな風に表に出さず、彼に必要とされるだけの領域に身を置くことを続けていれば、今更動揺に自分を見失うことはなかった。
ただ、彼は。
今まで見えなかったものが見えるようになった。悪夢はどうだろう、きっと少しずつ減ってきているだろう。
もしかしたら。
幸せだった頃のクリスマスの記憶を思い出しても、微笑むことができるようになったのかもしれない。
そうだと良いと思っている。
「ワイリー」
チョウはジェーンには構わず、ヘッドホンをつけて仕事に没頭しようと気合いを入れていた青年に声をかけた。
「はい?」
「俺のことは心配しなくていい」
ワイリーはその言葉に照れたように笑って、良かった、と二度ほど頷いた。きっと故郷に帰る予定もない独り身の(友人の少なそうな)自分を気遣っての言葉だったのだろう。
チョウもそんなワイリーに頷きを一つ返すと、改めてジェーンに向き直る。
「二度は言わない」
「うん」
「で、どうする」
少し、睨むように見ているかもしれない。いつも手にしているマグカップを持たずに少々手持ち無沙汰のようだったジェーンはその指を胸の前で絡めて、ゆるく首を横に振った。
それが拒絶を示しているのなら、チョウも諦めることが出来た。
しかし。
「……君に任せるよ」
視線も合わせずにそんなことを言うものだから、チョウは決着をつけることも出来ずに、今まで踏み出したことのない領域に踏み込んでしまうことになる。
「わかった」
「わかったって、チョウ、君ね?」
ジェーンは何ごとかを言いつのろうとしたけれどそこで諦め、くるりとこちらに背を向けた。少しだけ、ほんの少しだけだけれど頬が赤く染まっているように見えた。
今のチョウにはそれで十分だった。
メリークリスマスだなんて、上手く口に出来るかわからないが。

そのぎこちなさを、あんたは笑うか?
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久々のチョウジェン!
俺アースだよ。

【SS】ギリシャに消えた嘘: Bite your tongue off … 

 

 

男は三本目の煙草に火をつけた。
安宿の天井は彼のような客のせいで、すっかり脂汚れて変色しているが、それを気にするような客はこんなところを選んだりはしないのだろう。台帳に名前を書く必要すらなかった。
「マラケシュか……?」
男は煙草を唇に挟んでいても、いなくても、その声に変化はない。変にくぐもってもいないし、さほどの喉を張らずとも深過ぎないところで響く声。今日は少し掠れているのは、息が止まりそうになるまで走ったせいだろう。
心臓が早撃ちして飛び出すかと思った。自分にとってそれは、イスタンブールの夕暮れ時の市場、喧騒、警笛の中を駆け抜けたその時ではなくて、男と対峙した時に、彼が自分を信じてくれるかを見極めようと、彼のペールブルーの瞳と、ほつれて頬に落ちた前髪をじっと見つめていた時だった。
ギリシャ警察を背にし、こめかみを伝い落ちる汗にも視線を動かさなかったつもりではいたけれど、彼はどう思ったろうか。今まで彼が積み重ねてきた、彼の作ったチェスター・マクファーランドという男の人生の中で、僕のような人間はいたのだろうか?
僕、ライダル・キーナーがどういう人間かなんて、僕自身もわかってはいないけれど。いつか終わりを告げるだろうと思っていたモラトリアムに終わりを告げ、罪人となってさまようことになるとは、一度として考えたことはなかった。
まして、彼のような男と供に。
彼に愛され、愛していた女、コレットはどう思うだろう。世間の言う純愛とは違うだろうが、確かにそこには二人の愛の形があって、僕はそれをすぐ近くで見ていた。
そして、その絆を乱した。
彼に抱いていた怒りは、まだ腹の底に抱えたままになっているが、今彼が自分の計画通り、ここにいるということが嬉しい。
初めて会った時よりも、五歳ほど年嵩に見える横顔。
乾いた肌に砂がこびりついているようだ。
「次に行くなら、ね」
男は、けだるげに煙を吐き出しながら目と、肌の感覚だけであたりの様子をうかがっている。
彼はずっと考えているのだ。
あの場所から、どうやって逃げ出せたのか、ここがどこなのか、僕が何のつもりでギリシャ警察を裏切って彼を助けたのか。
そして、おそらく。
僕をどうすべきか、考えている。
「悪くないな」
立て付けの悪い窓ははめ殺しになっているようなものだ。曇っていて、向こう側を見通すことも出来ない。彼はまだ、ここがどこだかは知らない。それは優越感よりももう少し、歪んだ喜びを僕にくれる。
「褒めてくれるのかと」
彼は、今、僕を利用する以外の手段を持たない。
「おまえこそ、ほぼ無一文になったような俺になぜ恩を売る?」
恩か。
激昂からコレットの仇を討つつもりではいた。彼が一人、飛行機に乗ったとわかった瞬間は、この手で彼を殺すのが正しい道だと思った。
だけれど、それならカフェで彼を見かけた時に感じた「何か」を説明することが出来ない。
目の前にいた、財産も美貌も持ち合わせた女性が一瞬にして霞むほどの、何か。
コレットも美しくて賢い女性だった。
惹かれなかったとは言わない。彼女が二人で逃げようと言えば、手を取って逃げたかも知れない。
でもそうすることはなかった。
そうなれば、きっとチェスターは僕を世界で一番深く、憎んでくれただろうけれど。
それについては惜しかったと今でも思っている。
「……新しい名前、どうする?」
冷静に考えればギリシャ警察に協力した後、アメリカに戻り、父の墓の前で膝を折るのも一つの手だった。
父の死による喪失感は、愛情があったわけでもないのに、今も体に穴を開けている。
そこに泥でも詰めて塞いでしまいたいのに、それも許されない。
その穴を、この男が埋めてくれるかも知れないと思ったのは確かだけれど、今はそれより。
別の形を求めている。
「おまえが好きにつければいい」
誰かの代わりでも、利用するだけの一過性の関係ではない。
ただ、唯一の、何か。
「ほんと?」
「ただし、おまえの父親以外の名前にしてくれ」
彼はそう言って、煙草の煙をこちらに吹きかける。その答えは、今の僕が求める、すべてと言っても良かった。
彼は父親ではない。
そう、あの男と彼を見間違えたわけではないのだ。
「マラケシュも暑いのか……?」
「多分ね」
これ以上余計なことを言ってしまわないように、僕は唇の真ん中で煙草をくわえる。
そして、彼の乾いた横顔と疑心に苛まれぴくぴくと時折震える目元を見つめながら、新しい彼の名前を考えよう。
その名を知っているのは、しばらく僕だけになるのだから、大切に、考えよう。
僕だけの、名前だ。