セバスチャンがこの町外れにある少し寂れた教会に神父として着任してから、そろそろ半年になる。
鉛色の空から雪がちらつきはじめ、ここで過ごす初めての冬が来たことを知らせてくれる。セバスチャン自身は寒さには強い方ではあったが、ただでさえあまり人がいない教区だ。雪が積もってはクリスマスのミサに来てくれる人も少なくなりそうで、今のうちに雪かきに必要な道具を揃えておこうかな、とぼんやりと考えていたところだった。
一人の青年がにぎやかにやって来たのは。
「ええと……」
彼は年の頃は自分と同じ、三十歳になるかならないか、そのぐらい。もしかしたら少し下かも知れないけれど、今までセバスチャンが関わったことのないタイプの青年だった。
うるさいぐらいに大きなジェスチャー、くるくるとよく動く表情、時折何を言ってるのかわからなくなるご機嫌なおしゃべり、ぱっとあたりが明るくなるような笑顔を振りまく彼の名はクリス・エヴァンスと言うのだそうだ。
名刺も何もない、ただ彼がそう名乗っただけなので、セバスチャンは小さく口の中で反芻しながら、言葉を継ぐ。
「ええと、ミスターエヴァンス?」
「クリスでいいよ、神父さん」
彼を今までミサでは見たことはない。でも見覚えがないわけではなかった。そのことについて話をしたいのに、彼の落ち着かないハイテンションがセバスチャンにそれを許さなかった。
元よりおっとりしてる自覚のあるセバスチャンは、うんうん、と相槌をどうにか入れながら隙を伺うしかないのだけれど、本当にこういうのをマシンガントークなんだな、と感心してしまうぐらいの勢いなのだ。
「もうずっと神父さんに会いたくて!昨日の夜なんか楽しみすぎて眠れなかったから、めっちゃ寝不足!ヤバい!だけど、そろそろ十二月入っちゃったし善は急げっていうだろ?だから、勇気を出して来たってわけ!あ、なんか用事とかあったら言ってくれよ?俺いい子にして待ってるからさ!」
クリス……、ちょっと待ってとようやく言いかけたのだが、
「ひゃー!神父さんの声、すごくいいね!ね、ね、もう一回呼んで?めっちゃテンション上がる!」
この調子だから、一向に用件が進まない。
はあ……と、わかりやすいため息をつきたいところだけれど、それもできない。あまりに楽しそうで(時折その場で飛び跳ねたりする)それを邪険にするのはかわいそうな気がしたのだ。
たとえ、彼がここ数日の間、何度も教会の裏手にある森の中をウロウロと歩き回っていて、それをセバスチャンが警戒していたとしても。
ここまで邪気がないと、警察に通報しようと思っていたことを伝えるタイミングを探してしまう。しかし、教区と教会を守る任にある自分が見逃すわけにもいかない。
「クリス?」
もう一度、今度は少し喉を張ってその名を呼ぶと、彼の笑顔はだらしないぐらいにふにゃりと崩れた。それどころか耳までを真っ赤に染めて、じたばたとその場で足踏みだ。
うーん、どうしよう。
セバスチャンは迷いながらも、どうにか先を続けることにした。
「君、最近よく……裏の森に来てるよね?教会は常に君に門を開くけれど……」
森は一応教会所有の土地で、という考えていたセリフは立ち消えてしまった。
「神父さん!気づいてくれたんだ!」
思い切り、強い力で抱きしめられてしまったから。
薄暗い教会で日々を過ごす自分と違ってクリスはなんらかのスポーツをやっているのか、長い手足に十分すぎるほどの筋力をつけているらしい。それは息が止まるほどの強さだった。
「自己紹介してからの方がいいとは思ったんだけど、先に見ておきたくてさ。ね、ね、俺の顔とかもう覚えてくれてるの?街でばったり会ったらわかるぐらい?」
何を見ておきたかったのかもわからないし、彼の問いかけは矢継ぎ早すぎて、口を挟めない。
ああ、こういう時はどうしたらいいのですか?これがもし告解だったら、もう一度言わせるわけにも行かない。何とか理解しなければ。
「一本、いいのを見つけたんだよ、神父さん!」
ついに。
どうしようもなく勢い込んだクリスは音を立ててセバスチャンの頬にキスをする。それは父親が子供にするような、はたまた逆のような、そういう類いのキスだったけれどセバスチャンは驚いて、思い切り目の前の青年を突き飛ばしてしまった。
なんてことだ、暴力なんて!
「……っ」
思わず両手で口元を覆ってしまったセバスチャンに、クリスの目が大きく見開かれた。どうやら彼の目にはひどく怯えている様に見えてしまったらしい。
「ご、ごめんなさい、神父さん!俺は……俺は……!」
彼は勢いよくその場で膝をつき(痛いだろうに)、それこそ大仰な演出の映画で神に許しを請う信徒のような格好で、手を組み、そこからこちらを見上げた。
きれいな目の色だな、とセバスチャンは思った。
薄暗い中でもそれが鮮やかな青色だと見てとれたし、反省のせいなのかすっかり潤んでしまっているものだから、燭台の灯りにゆらゆら揺れて見えた。
くーん、と情けない鳴き声が聞こえてきそうなその様子にセバスチャンは小さく笑って、そっと手を差し出した。
彼が森に潜む悪党ならとっくにことを起こしているだろうとの判断もあったが(ほとんど自分はひとりきりでここにいるので)、何よりこの人懐こい大型犬のような青年が、悪い男、には見えなかったからだ。
「こちらこそ、突き飛ばしたりして……」
「そんな!俺が悪いんだ、あと、その……何かトラウマとかあったりしたのかなって……こないだそういう映画見て、その悪い神父さんが……」
イージーイージー、なんてこと言い出すんだ君は!
まあ、そういう話はこの世界でゼロではないけど、とセバスチャンは呆れ半分、憎めなさ半分でクリスの手をぎゅっと握って、大丈夫だから、と囁くように言った。
それから、今日は人の話は最後までゆっくり聞くものだということを覚えて帰って欲しい。
ひっく、としゃっくりを飲み込んだようになったクリスはパチパチと瞬きを繰り返し、ややあって、良かった!と安堵の笑みを浮かべる。
「心配をありがとう」
「当然だよ。だって神父さん、めっちゃかわいいから俺ずっと心配してたんだ。森に用事があったんだけどさ、あんたの護衛もできたらなっていつも思ってたんだ、どうかな?何なら住み込みでもって、ハハハ、気が早いかな?だよなー!」
「クリス!」
もうらちがあかない!とセバスチャンは覚悟を決めて少し多きな声で彼を制した。
きょとんとした顔でそれに答えたクリスだったが、くじけずセバスチャンは彼の顔の前に一本指を立てた状態で宣告した。
「言いたいことは一つずつ、わかりやすく、順番に話すこと!ちゃんと最後まで聞くから」
涙ながらに告解する信徒だってもう少し筋立てて話すことができる、とセバスチャンはついに一つため息をこぼした。
それにクリスは少しは反省したのか、口を閉じたまま深く頷いて見せた。
「……なるほど」
それから十分ぐらいかけて彼の話を聞いたことには、だ。
彼はここから車で三十分ほど離れたところにある児童養護施設でボランティアをしているのだと言う。スポーツの指導から備品の修繕まで、やれることは多いとのこと。
そこで何度かお祈りに来ているセバスチャンを見たことがあるということ。
いつか会って話をしてみたかったということ。
それからクリスマスが近いから街一番で大きなクリスマスツリーの飾り付けを子供達と一緒にやってみたいと思ったこと、などを話してくれた。脱線しそうになるのをどうにかこうにか制しつつではあったが、ようやく彼の行動の意味がわかってきた。
つまり、彼はこの教会の裏で適当な大きさのツリーを探していて、この思い付きにセバスチャンを巻き込もうとした、というわけだ。
「飾り付けからやりたいんだよ。ほら、みんなでワイワイやると楽しいだろう?」
「そうだね」
「じゃ、じゃあ、良い?一緒にやってくれるだろ?」
セバスチャンはもう降参、とばかりに両の手を目の高さぐらいまで上げてクリスに手の平を見せた。
「でも、ここの木は倒せないよ?」
「このままでやるんだよ!電飾もつけてさ、華やかにしよう!そうしたら教会のミサにも人が増えるかも知れないし」
何でもお見通しなんだな、と軽くにらんで見せても、全く悪びれないクリスにセバスチャンも納得するしかなかった。グリズリーが出たらどうする?なんていう脅しを言っても仕方がない。
「なあ、俺に任せてくれたら最高のクリスマスにしてあげるから!」
「子供達にとって良いものであれば」
「もちろん!」
「せっかくだから炊き出しもしようかな」
クリスはそのアイデアには飛び上がって同意して、天才の称号を授けてくれた。
まあ、こういう友人が一人ぐらいいてもいいのかもしれない。
セバスチャンはそんなことを考えながら、こう続けた。
「早速だけど、ホームセンターまで車出してくれる?」
「おおせの通りに!」
クリスはその場でまたも大きく飛び上がると、こらえきれないとばかりにそのまま表まで飛び出して行った。
雄叫びのような声が聞こえるが、セバスチャンは深く考えないようにして、誰もいない教会の中をぐるりと見回した。
それから、しーっと唇に指を当てて「秘密」のポーズだ。
「よろしく、ミスター・エヴァンス」
これからもよろしく。
雪が積もったら一番に来てくれると嬉しいな。
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早速長くなってるど……