Act.01
Act.02
Act.03
Act.04
Act.05
Act.06
ステバキ
AOU後AUです。
04:48 PM
「来たな!」
サムはにやりと笑って、書類の山の間から顔を出した。そこには「こんなことは面倒だからやりたくないんだ」とあからさまに書いてある。バッキーに手伝わせるつもりで呼んだのだ。
ヒーローでも何でも、この現代社会で必要なのはネゴシエーションとフォローアップ、それから「デスクワーク」だ。金を動かすのも、人を動かすのも、書類仕事がなければ始まらないし、終わらない。
それがわかっている人間と、そうでない人間がいる。
それから得意な人間と、そうでない人間。
サムは前者で、後者だったのでこの通り、プリントアウトの山とあまりに最新式過ぎて使い方のよくわからない端末と戦う羽目になっているようだ。バッキーは肩をすくめて、俺にできることがあるのか?と続けた。
「日付順に並べ替えてくれるだけでいい」
「そんなところからか」
呆れたように言うと、サムは膨れ面を寄越す。
「しょうがないじゃないか、退役軍人省で働いていた時の何倍もの決済量だぞ?」
「はいはい」
わかったから少し休んでろ、とバッキーは彼を椅子から追いやった。世界各地で任務を行うためか、扱う書類の言語が煩雑で、サムは日付の読み方をいくつか間違えているようだ。それから紐付けられている事件についても、正確さに欠けている。
バッキー自身、こういうお役所仕事を得意にしていた記憶はないが、言語や文字認識についてはいつの間にか「得意」になっていたようだ。サムはそれに気づき生かすべきだと言って、スティーブはおそらく気付いていないのだろう。
「……で、スティーブとは何を話したんだ?」
しかし人心掌握については、サムの細かやかさに叶うものはいないのではないだろうか、と常々バッキーは感じている。目の動き、顔の向き、顔色そのものや手足、指先のささやかな変化から、彼は色んなものを知るのだ。
そして、支えになろうとしてくれる。彼がスティーブと出会ってくれて本当に良かったと、心から思う。
「色々さ……」
「へえ」
バッキーはどこから話したものかわからず、小さく舌打ちをした。サムは煮詰まったようなコーヒーを入れに少し席を離れたが、すぐに戻ってきてカップをバッキーの手元に置いた。
不味いぜ?と言われて、そうだろうなとバッキーは答える。
しかし、その不味い、苦みしか残っていないようなコーヒーを一口含んで、バッキーは少し力を抜くことができた。
「俺は……完璧でありたいんだと思う……」
スティーブにとって、だけどな。と、自嘲気味に笑うとサムは何も言わずに肩をぽんと叩いた。
「小さい頃からずっと、そうやってきたんだ。それで、だいたいのところは上手くやっていた。……まあ、この記憶が確かかどうかは別の話、っていうのが……問題なのさ」
当時の内心を誰に問うこともできない、それが難しいところだとバッキーは考えていた。思い込みが記憶をねじ曲げてしまうこともある、と科学者の幾人かは言う。それは誰にでもあることだとも。
それでもやはり、どこかで。
完璧でありたいという強情が、理解を妨げてしまうのだ。
「ガキの頃に考えていたことなんて、よほど嫌なことか嬉しかったことじゃなけりゃ、みんな適当なもんだろう」
たとえば、バスケの試合につれてってもらえるはずだったのに、父親がすっぽかした、だとか。
そういうのは今でも恨みに思っているから、とサムは言う。
そうなのだ。バッキーも他人がそういう悩みを持っていたら、そう答えるはずだ。三日前の夕食の献立だって思い出せないぞ?なんて言って。
スティーブが相手だったらもっと細やかに、手を尽くすだろう。
わかっている。
「……そうだよな」
「あんたは上手くやろうとしすぎなんだな、なるほど」
サムは手元の作業を続けながら眉間に皺を寄せ、顔を俯ける男にそう言って、厄介だなあ、と正直な感想を漏らす。
そうなのだ、とてつもなく厄介なのだ。
明るく快活、朗らかで頼りになる軍曹殿が仮面とは言わないが。
「俺はさ、今でもライリーが生きてくれてたらなって思う」
夢にも見る、とサムは笑った。
「謝るなよ?違うんだ、俺が言いたいのはさ」
バッキーは手を止め、顔を上げる。そして、陽気で気遣いのできる細やかな優しさを持つ男の顔をじっと見た。
照れるな、とサムはジョークを挟み、あたりを見回した。
その戯けたような様子も、彼の優しさなのだろう。
「愛情とか、友情ってのはさ、めちゃくちゃ利己的なものなんだよ……」
そこがあんたらの間違いなんだ、と腕を組んでもっともらしく言ってのける。
「俺がライリーにどんな姿でもいいから生きていて欲しいと願う。で、実際後遺症が残った状態で彼が生きていたとする……」
辛い話をさせていると、腰を浮かしかけたバッキーをサムはきっぱりと視線で制する。
黙って聞けよ、の合図だ。
「俺はそれでもきっと嬉しいし、支えになりたいと願う。もちろん、なんだってするだろうさ」
俺は、それを望むから。
「だけど、ライリーはどうかな?愛情や友情の存在を理解することができても、嬉しいかどうかは別の話だ……きっと俺を恨むだろう、それは何度も考えたことだ」
その例え話は、あまりにも自分に染みた。バッキーは小さく呻くと、すまない、と掠れた声で言うしかできない。サムは、またそんなバッキーの肩を手を伸ばして、叩いた。
今度は少し、強めに。
「だから、あんたはスティーブのそれに合わせる必要はないのさ」
彼はあんたを世界のすべてから守りたいと思っている。
バッキーはその言葉に「俺もそうなんだ」と泣きそうな笑みを返しながら言う。
「だろうな」
サムは眉を上げて、二、三度大げさに頷いて見せる。
「……でも、サム。あんたはスティーブの味方だと思っていた」
「味方さ。ただ、孫世代は少しばかり器用だし、二人とも放っておけないと思っているだけ」
なるほど、と答えたバッキーにサムは「納得してねえだろ」と声を立てて笑う。
彼の例え話はきっと心からの真実なのだ。だから、放っておけないと思うのだろう。そして、おそらく自分とスティーブの関係を「ある種の幸運」だと思っている。
ワンダもそうだろう。
言う通り、愛情は利己的だ。愛ゆえに、強く求めてしまう。
それが大きな歪みを引き起こすことも、あるのだ。心が死んでしまうことだってある。
さっき、自分のしたことはそうだったのではないだろうか?
バッキーはぐっと奥歯を噛み締める。あれほどまでの絶望を、親友の顔に見たことはなかった。
どんなに戦況が悪くても、彼の顔から希望と使命感と正義の光が消えたことはなかったのに。
「……俺にしかできないことがあると思うか?」
ぽつりと呟くように言うバッキーに、サムは「その書類の整理」と茶化した後、しっかりと目を見てこう続けた。
「あんたにしかできないこともあれば、俺にしかできないことがある。でも、誰にでもできることだってある」
バッキーはその謎解きのような答えに、目を見開いた。
「な?そういうことなんだ。あんたが全部やる必要があるか?ここには仲間がたくさんいるんだ、街を歩く通りすがりの子供だってあんたを笑顔にすることはできる」
「……ああ、その通りだ」
「だから、あんたはあんたができることだけ、頑張ってみろよ」
したいことだけ、でもいいんだから。
「……わかった」
バッキーは素直に頷き、書類の山に目線を戻す。もうしばらくここで作業をして、雑談をしていれば少し落ち着いてもう一度スティーブと話せるかもしれない。
悲しませたいわけでも、苦しませたいわけでもないのだから。
今夜、彼に悪夢を見て欲しくない。
「あと、孫からもう一言」
「ん?」
「言わなくても通じ合えるなんてのは、あんたら凍っている間に「無効」になってるからな?」
ちっ、と今度はわざとわかりやすく舌打ちを残すと、バッキーは「お節介め」と忌々しげに言う。サムはそれに大笑いして、そのぐらいで行けよと言う。
本当にそうだな、とバッキーは思った。相手の為だと言いながら、その実、自分を取り繕おうとしていたのは、幻滅されるのを恐れていただけなのかも知れない。
いや、その通りだ。
それは覚えていない、だとか。
本当に俺が言ったことか?と、最初から逐一確認していれば良かったのだろう。
最初から、スティーブに相談していれば良かった。
彼がどういう行動を取るか、ではなく。
自分は、恐れられることを、嫌われることから逃げたのだ。
「……それにしても、この書類は酷いぞ……?」
「知ってる」
「開き直るなよ」
バッキーは得意げな顔をして胸を張るサムに丸めた紙を投げつけた。サムはそれを避けなかった。
そのかわり、その調子!とでも言うように片目をつむって、こちらを指差した。
目上の人間を指差すなっていう説教は時代遅れか?
「よし、一時間で片付けてやる」
「そう来なくっちゃ!」
ピューっていう口笛にバッキーは腕まくりをして作業を開始した。肩越しに優しげな眼差しを感じながら、あえて振り向くことはしなかった。
それでいい。
こういうのがサムにしかできないことなのだろうと思った。
そして、それはとてもとても素晴らしいことだ、と思った。