【ステバキ】Let me love you【連載 02】

Act.01

Act.02

ステバキ
AOU後AUです。

07:10 AM
ラジオからはトラフィックニュースが流れてくる。
手回しで選局する必要のある、もはやアンティークと言えるそのラジオはどこかの蚤の市でスティーブが買ってきたものだ。ノイズが時折邪魔をするが、まだ不自由なく聞ける。
あの頃を思い出す、などとは言わないが慈しむように古いジャズの流れるチューンに合わせているのを見ると、口に出さないだけなのだろうと思う。
しかし、バッキーにはまだその心境に寄り添ってやることはできないでいた。うまくごまかせているとは思ってもいなかったが、考えていた以上にスティーブの繊細なところを刺激してしまっているらしい。
気づかないふりをしてはいるが。
「スティーブ、トーストが焼けた」
「あ、ああ。すぐ行く」
戦前生まれの男たちが大方そうであるように、スティーブもバッキーもけして料理が得意だとか、経験が豊富だとかいうことはなかった。軍隊生活のおかげで火を起こし、鍋で湯を沸かし、煮炊きするぐらいのことはできたが、二十一世紀にその技術はあまり必要ない。
最新式のシステムキッチンでは、炎すら必要ないのだ。スティーブはヘリが空を飛ぶ理論より不思議だ、と言っていた。
しかし、バッキーはそれに同意しつつもそろそろ今時の生きる手段を覚えてもいい頃だと考えはじめていたところだった。望むとも望まざるとも、前へ、前へと時は刻まれているのだ。
記憶のかけらをどうやってかき集めたのか、未だにはっきりとした自覚がない。呪われた男としてスミソニアン博物館に行ったあたりから、意識と言えばいいのか認識と言えばいいのか、そのあたりがずいぶんと曖昧になり気づけば食事をしていて、気づけば雨露を凌いで眠っていた。
実のところ、今の自分が本当の「ジェームズ・ブキャナン・バーンズ」なのかどうかも、はっきりとわからないのだ。一度、記憶を弄られた人間は正否について判断することはできない。
たとえば、友との愛しい思い出も、勝手な妄想によって作られたものかもしれない。そんな筈はない、と否定しても、自ら「本当に?」と疑念を投げかけてしまう。
そのことをバッキーは正直に医療スタッフには隠すことなく伝えていたし、今後も引き続きの調査が必要だと思っている。
いざという時のことも幾通りも考えているのだ。自分はそれだけのことをしてきた。言葉だけの謝罪や償いでどうなるものでもないことを。とてつもなく恐ろしい事の数々を。
いっそ、すべての記憶を失ってしまっていれば、と願うこともあったが、それこそあまりに無責任だろう。
今のバッキーはこの時代で生きることを覚悟し、贖罪の方法を探し続けているところなのだ。
そのためには知らなければならないことがたくさんあった。
たとえば、エスプレッソマシンの使い方、だとか。
思い出の、忘れ方だとか。
「今日も失敗したな、スティーブ」
自分より幾分早く「現代」に慣れていたはずのスティーブも最新式のエスプレッソマシンには歯が立たないようだ。僕は普通のコーヒーが飲みたいだけなのに、と眉間に皺を寄せ不服そうな顔でマシンを睨みつけることがほとんどだ。
バッキーは肩をすくめ、またやり方を習えばいいと適当にあやしながら朝食の支度を続ける。
頭の中で考えていることのほとんどをスティーブには知られてはいけない。すっかり演技が上手くなったわね、とナターシャに言われたがその通りだ。
バッキーはボール二つ分の野菜の上に、ランニングからの帰り道にあるデリで買ってきたチキンブレストのハーブ蒸し(と、書いてあった)を厚めにスライスして乗せると、テーブルに運んだ。
目玉焼き二つにベーコンを添えれば、準備は完了。トーストは後二枚ずつが腹の中に消える予定で待機している。
コーヒー担当のスティーブは降参、と両手を挙げて冷蔵庫からミネラルウォーターとミルクを取り出し、コップに注いだ。
「召し上がれ」
「明日は僕が」
良いんだよ、手際が良い方がやればとバッキーが笑えば、スティーブは眉根を寄せてすまなそうに目を伏せるので、仕方がなしに代替案を示す。
こんなささやかなことで傷つくほどに、今のスティーブは弱くなっている。
自分のせいかも知れないが、いい加減頭で理解してくれてもいいだろう。
ウィンターソルジャーが何をしたのか。
少し考えれば、こちらの置かれた立場がわかるだろうに。
「じゃあ、明日はおまえに任せるから」
それでもバッキーは磨いた演技力で親友を優しく騙す。これ以上は止めようと毎朝、毎晩、考えはするのだけれど、あの青い瞳が濡れて、重く沈むのを見るのは正直を言えば、自分にとっても辛かったのだ。
「最悪オートミールだけだぞ」
「好物だ」
記憶に間違いがなければ。
バッキーは笑みを浮かべたまま、スティーブの反応を待つ。
「少ない蜂蜜を取り合ったよな!」
「今じゃたっぷりかけられる」
しかもとびきり気取った瓶に入った夢のように美味い蜂蜜を。
スティーブの嬉しそうな顔に、今回の試験は無事通過したようだ、と少しばかり安堵したバッキーはフォークを手に取り、サラダから片付けてしまうことにした。
トニーは二人にそれぞれ、十分すぎるスペースのある居住空間を用意してくれた。しかし、スティーブがバッキーの拒食を必要以上に心配するので(その証拠を見せたわけでもないのに)食事の時間だけは必ず一緒に過ごすようにしている。
僕は君が心配なんだ、とまっすぐな青い瞳を向けられては、無下にすることもできない。
その青には、やはり悲しみの影が宿り、その姿が見え隠れしていたからだ。
だから、二人で食事をする。
自分が幻ではなく、現実にここに生きていることを証明するために。
先ほどのように、いくつかの試験を自らに架すために。
「で、スティーブ。今日の予定は?」
「9時から上で会議がある」
アベンジャーズのリーダーという立場のスティーブは逃げられないのだけれど、あまり気乗りしないのだろう。数学の宿題が終わらなかった時と同じ顔をしている。
ような気がした。
「朝の9時の会議にトニーが出て来られるのか?」
そうバッキーが茶化すと、スティーブは少し眉を上げ、首を横に振る。
「ハワードより真面目だぞ、ああ見えても」
そして、きっぱりこれだ。
「へえ」
いないところでは素直に褒めるのか、と意外に思ったが(朝方は拗ねていたようだし)、思い出してみればスティーブは昔からこんな風だったのかもしれない。
確か、バッキーはボクシングの試合で優勝した時にこう言われたのだ。
殴られすぎだ、と。
会場が万雷の拍手で自分の勝利を祝ってくれている最中に、膨れ面をついっと逸らして、そう言った。
怒るどころか、ぽかんと口を開けた間抜けな顔を返すしかなかったことを覚えている。
「バッキーは?」
この思い出は真実であって欲しいと願いながら、バッキーはスティーブの問いに答えた。
「ワンダと一緒にチョ博士のところへ行く」
ワンダとはこのタワーに住むようになってから知り合った。自分と同じく、ヒドラに改造された能力者で、先のウルトロンとの戦いで最愛の双子の弟を亡くしたばかりだという。
直接、話すことはいくらもあった。だけれど肝心な情報はお互い、手渡された文書で読むだけで、話題にはあげなかった。
二人とも、今は生きる道を探っている段階なのだ、卒業アルバムを見ながら話す昔話のようにはいかない。
生きていくという選択が正しいかどうかも、わからないのだから。
「コロンビア大学だっけ?」
「ああ、ソウルの研究室が元通りになるまでは時間がかかるそうだから」
そうか、とスティーブは頷いた後、意識的に唇を笑みの形にする。フォークを動かす手も止まっている。
バッキーは舌打ちをしてしまいそうなのを堪えて、彼の不安の根っこを探るべく目をしっかりと合わせる。
できれば、瞬きの速さも、合わせておきたい。
「この腕の改良過程で話が出たんだ。人工皮膚を施すか、どうかの……」
ひとまずは手の部分だけでも、と博士はいくつかの試作品を用意したから見て欲しいと言っていた。
「バッキーはどうしたいんだ?」
スティーブはそう尋ねるが、バッキーには答えようがなかった。やはり、彼はまだわかっていない。
そういう「選択」を許されていないんだ。
「どうだろうな、考え中だよ」
バッキーはそう言って、二枚目のトーストが焼けるのに合わせて、トースターに手を伸ばす。
「でも彼女も一生懸命だからな。話を聞くだけでも、と思っているところだ」
そうか、と相づちを打つスティーブはまだ何か言いたげだ。
「おまえな……」
ふうっとわざとらしくため息をついた後、バッキーは片方の頬を悪戯っぽくつり上げて、スティーブを見る。
「昔は俺があちこちの女の子とデートしていても知らん顔だったくせに、ずいぶんと心が狭くなったんだな」
「……そ、そういうことじゃない」
「ははは」
慌てて言い訳を探すスティーブだったが、元よりそういうことは得意ではない。
「まだ、あの子には故郷の言葉が必要なんだよ」
しどろもどろになってしまったスティーブの足をテーブルの下で軽く蹴った後、大丈夫だから、と目で言い聞かせる。
ヒドラに植え付けられた記憶の一つに、多種多様の言語というのがある。ドイツ語、ロシア語はもちろん、ソコヴィアの言葉も問題なく話すことができた。
ワンダは、弟を思い出すと言って泣いた。
やめようか?と言ったら、もっと聞かせて欲しいと、また泣いた。
だから、時折二人で話す時間を作り、彼女の話したいことだけを聞いて、それに答えて欲しい答えを返した。
今日、付き添いを頼んだのもそういう理由からだ。
「あ……」
スティーブの良いところは、過ちに気付き、反省できるというところだ。一転して、申し訳ないというような優しい顔になったスティーブに、バッキーは「ワンダには内緒にしといてやるよ」と笑った。
「ありがとう、バッキー」
「どういたしまして」
時計の針はもうすぐ八時を指そうとしている。
日課の「予定確認」も終わった。そろそろお互いに出かける仕度をしなければならない。
「やっぱり朝だけじゃ……、話し足りないな」
スティーブは、小さく呟いて、目を伏せながらではあったけれど穏やかに微笑んだ。
「……ああ、俺もそう思う」
だから、バッキーも同じような表情を作って、彼に同意した。
同じ気持ちだから、だ。
でも、本当に?
「会議が終わったら連絡入れてもいいか?」
「ああ、もちろん」
バッキーは大きく頷き、スティーブの安堵を見届けた。
これで、半日は保つだろうと見当付けたことは顔に出さずに。

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