【ステバキ】Let me love you【連載 05】

Act.01
Act.02
Act.03
Act.04

Act.05

ステバキ
AOU後AUです。
(Act.01~04に微妙な加筆修正してます)

 

3:40 PM
超人用のトレーニングルームを作ったトニーはコロシアムと名付けた。悪趣味だな、とスティーブは顔を顰めたのだが、バッキーは「良い名前だ」とにやりと笑った。
「僕は嫌だと言ったのに」
そう言うと、バッキーは「これだから堅物は」とあきれ顔を見せ、それから、こういうのは悪趣味なぐらいが良いんだよ、と目を細めた。
その時のバッキーの心情はわからないままだが、多分、皮肉にしても単なるジョークにしても、そうできる余裕ができたことを喜んだ方がいい、と言いたかったのかもしれない。
戦地にいたあの頃、前線でともに戦ったハウリング・コマンドーズの連中がそうだった。明日死ぬかも知れない、昨日死んでいたかも知れない、そんな状況でも彼等は食べられるだけのものを食べ、よく飲み、よく笑っていた。
不謹慎だ、とどれだけスティーブが眉間に皺を寄せても、彼等が言うことを聞くことはまずなかった。
そんな日々のことも、バッキーは忘れようと、なかったことにする気なのだろうか?彼等がそんなことを望むと思うか?
きっと全員に小突かれて、酒を飲まされ、もみくちゃにされる。
僕のことが無理なら、彼等だけでも。
なあ、バッキー。
頼むから。
「……連絡、寄越さなかったな?」
コロシアムの真ん中で立ち尽くしていたスティーブだったが、その声に不意を突かれて顔を上げる。
戸口にもたれかかるようにして立つバッキーはトレーニングをするような格好をしていなかった。
当然だ、ここにいるだろうことも、できれば一緒にトレーニングをしたい、そんなことも何一つ伝えていなかったのだから。
ただ、何回かの組み手を思い出して立ち尽くしていただけだ。
バッキーはしばらくそこにいたのかもしれない。ふうっと長い息をついたその表情はずいぶんと、労しげに見えた。
「あ……ご、ごめん……」
見える限り、彼の左手は何らかの処置を施したようには見えなかった。ほっとして良いのか、悪いのか、今のスティーブには判断できなかったが、自分の居場所を探し歩いてくれたのかと思うと、それだけで体温が上がったかな、と錯覚するぐらい、胸が熱くなった。
顔を合わせるたびに安堵の吐息を漏らしてしまうのを本当はやめたい。
バッキーは「またか」というように眉を上げての軽い抗議を示す。スティーブはそのことに言い訳したくなくて、口を噤んでしまう。
でも、どうだろう。
やはり、今朝方よりもバッキーの表情が、落ち着いているように見えた。
「話せるか?」
「……もちろんだ。ここで……?」
「そうだな、ここがいい」
バッキーは軽く肩をすくめて、ベンチに座るように顎先で動かす。汗一つかいていないスティーブの様子に「なんだ、さぼっていたのか」と小さく笑う。
考え事をしていた、とは言えない。
ただ、悲しみにくれていた、というのも正解ではない。
そうだな、おそらくは。
逃げ出したくてたまらなかった、と言うべきだろう。
「なあ、スティーブ。落ち着いて聞いてくれるか?」
そう言ってバッキーはフーディーの首回りを少しくつろげた。何もないように見えるが、と目をすがめると彼は手元のモバイルを操作する。
すると、首筋に小さく赤い光が灯った。
見間違えでなければ。
見間違えであって欲しかった。
「これは……」
声が掠れて、言葉が出ない。何か強烈な力で後頭部を殴られたような、いや、そんな時よりもずっと強い衝撃にスティーブは呻いた。
「……うーん」
バッキーはジョークは言わない方が良さそうだな、と呟いて、ゆっくりと息をついた。
「これは追跡装置だ……」
「……ワンダも……?」
スティーブの掠れて軋んだ声にバッキーは頭を横に振る。そして、おまえは優しいなと言ってスティーブの頬をそっと生身の方の指で撫で、大丈夫だ、と囁いた。
「ナターシャとトニーと相談して決めたんだ」
また、僕はのけ者だ。
その疎外感にいつか殺されてしまいそうだ、とスティーブはぎゅっと目を瞑る。穏やかに、淡々と、当然のことのように話すバッキーの顔を見ていたくなかった。
まるで駄々っ子のようだと言われてもかまわない。
「もし頭がまたポンコツになっても、これがあればどこにいるかわかる。……そうだな……」
そこで一度言葉を切った後、バッキーは長く息をついた。そして、そっと手の平をスティーブの頬に添わせた。
彼は、気がついているのだろうか。
その行為はもうずっとずっと前にしたきりだと言うことを。スティーブがまだ、立って外を歩くより、ベッドの上にいる時の方が多かった時のことだ。
熱の下がらないスティーブの頬に、外に積もった雪で冷やした手を、こんな風に添えてくれていた。
覚えているのか?
これも、忘れてしまうつもりなのか?
「そうだな、これは……衛星からアクセスができるんだ……」
「バッキー!」
黙ってなど聞いていられなかった。かっと目を見開いたスティーブはバッキーの手を払い退け(それだけでも胸が張り裂けそうだと言うのに!)、両の肩をぐっと力強く掴んだ。
骨が軋むほどに、強く。
「スティーブ……、スティーブ!」
痛いとも、離せともバッキーは言わなかった。じっとこちらの目を見つめて、力強く名前を呼んだ。
スティーブ。
そう、ここにいるのはキャプテン・アメリカでも何でもない。ただのスティーブ・ロジャースだ。
バッキーの親友で。
いや、親友だなんて「安易」な言葉で語りたくない。友情と尊敬と愛情と執着と孤独と過去と。
そして未来。
すべてを共有したいと願っている。
それを心理学的に何と言うのか、どう思われるのか、スティーブにはわからない。
ただ、世界の平和を願うのと、正義を貫くという強い意志と、バッキーを想う気持ちは別なのだ。
バラバラになってしまいそうなぐらい、別のもので作られている。
どうしてそれをわかってくれないのだろう。
「これが俺の責任なんだ……わかってくれとは言わないが、足枷になりたくないんだ」
「僕の……?」
「そうだ、おまえの足枷になりたくない。もし、何かがあったらおまえはきっと迷う。苦しむ。そして、自分を責める」
だから、彼は一番初めにナターシャを頼った、その次にトニーを。
そういうことなのだろう。
バッキーの手はスティーブの腕を撫で、それからもう一度、今度は両手で頬を挟むように触れた。
片方からは温もりが、もう片方からは冷たさと固さが伝わってくる。
「あの時、手を伸ばしていれば……」
そして、バッキーはスティーブの心の一番奥底に居座っている後悔をすくい上げた。
「……そうなんだ、バッキー……」
僕が、あの時。
手をもう少し伸ばしていれば。すぐに救いに戻っていれば。
「君が苦しむ、理由のすべてが僕だ……」
呆けたような顔で、それだけを言葉にするのが精一杯だった。あの日のことがなければ、彼は氷付けにされることも、洗脳されることも、暗殺者になることもなかった。
そうだ……。
バッキーはこのことに気付かせないように、してくれていたのかもしれない。
思い出を語らないのも、そうだ。
明るく振る舞うように、話の調子を合わせてくれていたのも、そうだったのかもしれない。
「僕は……」
僕は、と繰り返すだけで言葉が出てこない。かわりに出てくるのは、涙と、嗚咽ばかりだ。
「違うんだ、スティーブ。なあ、聞いてくれ」
参ったな、とバッキーは少し笑って、涙を唇で拭ってくれた。キスというほど身勝手ではない。これは彼の慈しみと愛情とがさせることだ。
キスを願うのは、身勝手な自分だ。
いつからこんなに強欲になった?仲間達からもらった温もりや優しさを台無しにしてしまいそうで、怖い。
言葉も見つからない。
身動きも取れない。
「なあ、スティーブ……。これはおまえを自由にしてやりたくて……決めたことなんだぞ?」
それにな?
と、バッキーは優しく目を細めて、今度はまぶたのすぐ上に唇を押し当てた。
「……これがあった方が俺も、少し、自由になれそうな気がするんだ……」
監視機能を首に埋め込んで、何が自由だ。その反論が表情に出たのだろう、バッキーは目を細めて、微笑んだ。
悲しそうに、見えた。
「……スティーブ。俺にはまだ……自分を自分だと思えないところがあるんだよ……」
バッキーは、バッキーだ。
スティーブはそう言ってしまわないように、唇を強く噛む。血が滲むぐらい強く。
「ヘイ……スティーブ。やめろって……」
バッキーは苦笑し、親指でそこを撫でた。緩めろよ、の動きにスティーブは嫌だ、とより力を込める。
「困ったやつだな……」
あきれ顔になったバッキーは、強情な幼馴染みの額に自分のそれを押し当てて、すぐ間近から目を覗き込む。
「作られた記憶なのか、本当にあったことなのか……間違いなのか、正しいのか……」
たとえば。
「ダンスが踊れるのは?」
「……昔からだ」
「おまえの絵のモデルはしたか?」
「してくれた……」
「でも、あの頃……俺はロシア語の欠片も知らなかったし、人の殺し方も知らなかった。それから軍人になって、……戦場で得意だったのは射撃で、ナイフじゃない」
でも、それをどうやって、誰に教わって、どういう風に会得したのかは、思い出せない。
いつかどこかで、その相手とばったり出くわさないとも限らない。記憶が錯綜することも大いにあり得る。
だから、どうしても自分には自分や皆や、周囲を守るための「何か」が必要なんだ。
それが、これだ。
なあ、スティーブ。
「……それに世界のほとんどが俺を許さない……それはわかっていることなんだ……仕方がないことだ……」
スティーブはどうして、こんなに悲しい言葉を大切な人に紡がせているのだろう、とあまりの自分の愚かさに愕然としてしまった。
「だから、後悔しないわけにも、贖罪しないわけにもいかないんだ。生きていることを選んでいいのか、それすらも俺には……ワンダもそうだ、俺達には判断できない。自分で決めてはいけないんだよ……」
自分が分からず屋で、頑固で、どうしても譲れないと強情を張るせいで、バッキー一人が努力を強いられている。
「でもな、スティーブ。ヘイ……こっちを見るんだ、スティーブ」
バッキーはそう言って、鼻先にキスをくれた。
そして、ようやく緩めることができた、唇にも。
「キスは初めてだったか?」
そしてバッキーは悪戯っぽく笑いかける。そんな彼のまつげも濡れていた。
「……初めてじゃない……」
僕らは。
何度も、キスをした。
「でも、……言えなかった……」
否定されるのが、怖くて。
他の思い出と同じく、振り返りたくない過去にされてしまったらと思うと、そんなことがあった事実を気取られてはいけないと思っていた。
「……そうだな……俺も、同じなんだよ……スティーブ」
不確かだから、傷つきそうで、傷付けてしまいそうで。
怖かった、とバッキーは掠れた声で告げて、もっと上手く説明しようと思っていた、と頭を振った。
「おまえとの会話で、何度も試験を繰り返していたんだよ……。これは合っているか、間違っているか。俺の思い込みなのか、そうでないのか……」
もう一度、触れあうだけのキスをして、バッキーは小さく笑った。
「でも、俺は……こうして戻ってきたことは……良かったことだと思っているんだよ、スティーブ。おまえにまた出会えて……嬉しかった。本当に……」
この気持ちに嘘はない。
ただ、もう少し時間が必要なんだ。
そう続けたバッキーにスティーブは、震える唇で、わかったと言うしかなかった。
本当に理解できているのかは自覚できない。
いや、理解はしているが納得できないと言った方がいいかも知れないが、何をどうしたら納得できるのかもわからない。
「……少し……頭を冷やすよ……」
「ああ、わかった。……聞いてくれてありがとう」
当然だ、と頷いたスティーブの頬にもう一度軽くキスを落としたバッキーは、小さくだが微笑んで、ゆっくりと体を離した。
「じゃあ、また後でな」
「ああ」
サムにも呼ばれているんだ、と軽口のように言ってバッキーは「コロシアム」から出ていった。
一人残されたスティーブは、また溢れてきてしまった涙を拭うこともできず、頭を抱えるしかなかった。
感情と思考と理想とがない交ぜになって、気が触れてしまいそうだと思った。
何をどうすれば良かったのか。
これから何をすればいいのか。
わからないことばかりで、道に迷った子供のような気持ちに、胸をかきむしりたくなるぐらいに、苦しい。
「……どうしよう……バッキー……」
僕は、こんなにも愚かで弱い人間だったなんて。
「知らなかったんだよ、バッキー……」
許しが、人を救うとは限らないのだということを。
愛情が、人の支えになるとは限らないのだということを。
「僕は……」
それ以上の懺悔を、スティーブは言葉にすることができなかった。
静まり返った部屋に響いたこの声を最後に、後は何も聞こえなくなった。
すすり泣くことすら、贅沢だとでも言うように。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です