スペクター後日談、注意
「言いたくないんだけどな?」
今夜は遅くなるわ、とダーリンにテキストを入れておいて正解だったようね。われらが幕僚長もとい胃薬担当のタナーはすでにスコッチの瓶を抱え込むようにしてがぶ飲みしているし、放っておくわけにはいかないでしょ?
物わかりの良いちょっとぼんやりしたダーリンは、ちゃんとタクシーで帰ってくるんだよ、という返事をくれた。
「聞きたくないですー」
天才(なのよね、たぶん)Quartermaster、Qはスロースクイーズのスムージーを飲みながら、酔っ払いに抑揚なく合いの手を入れている。それにしても何が混ざっているのか、ひどい色。わたしは遠慮して正解ね、肌に効くって言われてもごめんだわ。
「いーや、聞いてくれ!おまえにだって責任の一端はあるんだからな!」
タナーは目下『後始末』に奔走している。国家の相当な要人が犯罪組織と手を組んで起きた今回の「事件」は解決には至ったけれど、すべてが秘密裡に済んだわけではない。
秘密にしようという努力はしてたのよ、これでも。
ただ、それが結局のところ上手くいかなくって、目下タナーは文字通り「奔走」しているのよね。当然Mが表の顔として立っているのだけれど、それ以外のことは全部タナーの取り仕切りだ。
「俺はね、ごくごく普通の秀才なの。小さい頃からたくさん本を読んで、勉強して、いい成績で大学行って、国の為に働くことはいいことだと思って入局して、頑張ってきたんだよ、わかる!?」
確かにタナーはわたしのようなエージェント志望でもなかったし(00ナンバーとはいかないけれど、今も訓練は続けてるのよ)コードネームもない。
だから彼はこっち側とあっち側(政府とか国家とかマスコミとか世間体とかそういう方ね)の架け橋的な役割を任せてしまっているんだけど、それは意味のあることだと思うのよ。
それが不満なのかしら?
「俺は俺なりに頑張ってきたし、君らのような特別枠ともそれなりに上手くやってるさ」
わたしは冷たいお水を持ってくるようにバーテンに合図を送った後、タナーの肩をそっとさする。
なるほどね。
「でもな……!」
彼が何に対して憤っているのか、わたしにはようやくわかった。Qもきっとなんとなくわかっているから、こうしてそこに座ってるんでしょうね。
「でも俺は、ふつうの人間なんだよ……」
うん、そうね。
「だから、勝手に人生を終わらせようとしたりするヤツの気持ちはわからないし、一人で何でも解決しようとする人の気持ちもわからないんだよ」
それから、自分が死んだ時のことを想定してメッセージを残す人の気持ちも。
「クリスマスカードを……書いてたんだ……」
Qは猫の写真をそっとタナーの手の横に置いて、見せる。何やってるのよ、と思ったけど、タナーは眉を下げて泣きそうな顔で笑って、かわいいな、と呟いた。
「こんなに忙しいのに……、損害を試算して、苦情をとりまとめて、Cに解雇されたダブルオーセクションの人間を集めて、再建の計画を立てて……」
死ぬほど忙しいのに、徹夜してでも、
「クリスマスカードはちゃんと書かないと、と思って……」
タナーはそこまでを言って、Qの猫を画面越しに撫でた。わたしはもう一度、肩をさすって、お酒を取り上げた。指は氷のように冷たくて、震えいていた。
「ジェイが今……どこにいるのかも知らないのに……。Mにクリスマスの話を振ることもできないのに……」
クリスマスカードに、何て書いたと思う?
「来年は、きっと良いことがあるって書いたんだ。俺はふつうの人間だから、命を賭けることも、盾になることもできないから……無責任に楽しいことを願うんだ」
わたしはタナーの声に、目をぎゅっと閉じた。気の利いた言葉一つ、探せなくて情けないわね。
「きっと良いことがあるって……何なんだよな……、ほんと……俺って……」
バカだな。
ぽつりと呟いた声は掠れていたけれど、胸の奥に染みる。目を開いたら涙が溢れてしまいそうで、怖いのよ。それでも、あなたはバカなんかじゃないって伝えないとね。
そう思ってわたしが目を開けた、そのタイミングでウェイターがこちらに近づいてくるのが見えた。
わたしは少しだけ緊張して、タナーはうなだれていて、Qは携帯で別の猫の写真を探していた。口下手ってこういう時困るわよね、わかるわ。
「お客様、あの、こちらを……」
そこに置いてあったのは、こんな街ハズレのパブとはあまり相性の良くないように見える、ショッキングピンクの箱に金の箔押し、プレスタのトリュフチョコレート。
よりにもよって、チョコレート!
「……ジェイ……」
顔を上げたタナーは困り顔のウェイターから箱を受け取ると、添えられたカードを見て舌打ちをする。
「何って書いてありました?」
Qもわたしも彼の置き土産やプレゼントをもらったことはあるから、またタナーが厄介事を増やされたのかと心配になったけれど、タナーはQの言葉に肩をすくめて、こう言った。
「食べ過ぎ注意だと」
「え、それだけ?」
「それだけ」
タナーはゆるく頭を振ると、箱に手をかけた。そしてトリュフを一粒手にとって、口の中に放り込む。
「美味しいわよね」
「ああ、美味い」
僕にも下さい、と言ってQが手を伸ばしたので、わたしもご相伴にあずかることにして、横目でちらりとタナーの様子を伺った。先ほどよりも落ち着いて見えたし、顔色も良くなっているような気がする。
大丈夫なのかしら。
「悪かったな、愚痴につきあわせて」
「いいのよ」
「猫、触りにきてもいいですよ」
ありがとう、とタナーは口の端で笑って、深い息をついた。もう一つ、とトリュフをつまんで、肩をすくめる。
「……二人には別のことを書いたからな」
「楽しみにしてるわ」
「お説教じゃないといいんですけど」
さて、どうかなと笑って、タナーは水を一気に飲み干した。抱えてた瓶は床の上、足で引っかけないようにね。
「ねえ、せっかくだからもう少しおしゃべりして行かない?」
二人が頷いたら、ここからはあの勝手な男の悪口大会をはじめましょう?
きっとどこかで大きなくしゃみをしてるわよ。
お仕置きには、甘いと思うけどね!
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当方タナマロですが、タナー大好きマンなのでこんなお話に!
マロリーは後でよしよししてくれるよ!きっと!