5/3 バトルシップ地上派初放送記念SSです。
ストアレです。
パールハーバーの外れにある、ハイドアウェーは上手い料理があるわけでもない、良い酒が置いてあるわけでもない、何てことないバーだ。寝て起きるだけのためにあるようなホテルに併設されていて、客と言えば軍人ばかり。賑やかではあるが、小競り合いも多い。客の回転が良いわけでもない、明日も明後日も来年もそのままでいるだろう、そんな店だ。
だから、アレックス・ホッパーはこの店が好きではなかった。海軍なんかに入る気はさらさらなかったし、あいつらの「俺達はネイビーだ」とかいう意味のわからない強すぎる連帯感が鬱陶しくてたまらなかった。
まあ、その気質の筆頭は親父にはじまり、今はきっかり兄ストーンに引き継がれているものだから、店に入ろうと入らざるとも変わらないと言えばそれまでなのだけれど。
今日も彼に呼びだされて仕方なくやってきたが、ストーンの方が珍しく遅れていた。
「……マジかよ……」
結局、ビールを三本、ウィスキーを2杯飲んでもまだ兄は現れなかった。別段これから用事があるわけでもなかったが、チラチラと他の「ネイビー」連中に見られるのも、こそこそ噂話をされるのも耐えがたかったので、アレックスは店を出ることにした。どうせ、帰る家は一緒だ。
何もわざわざ呼びださなくても話なら家で聞くさ、とすっかり気分もささくれ立ち、むくれたアレックスは頬を膨らませながら店を出た。
しかし、彼はその足をすぐに、止めることになった。
「めっちゃ美人……」
タクシーを呼ぶか、少し先まで歩くか考えながら何の気なしに駐車場を見回した時に目に入った二人の男女の姿。片方は相当の長身、きっちりと分けられ櫛でなでつけられたブロンド、すぐにわかった、兄のストーンだ。
そんな彼にすがりつくように胸のあたりに両の拳をぶつけている女性は、泣いているようだったが、それでも遠目で見ても確信出来るぐらいに美人だった。もう少し簡単に言うなら「最高にホット」な女性に見えた。コーラルピンクのサンダルで精一杯背伸びをして、ストーンに必死に訴えかけている。
軍の関係なのか、どこかで引っかけてきたかは知らないが、ストーンはほぼ無表情で彼女のことを見下ろしているように見える。その気はなくても普通女性があんな風に泣いていたら慰めるぐらいはすると思うのだが、彼は後ろ手を組んだままだった。
うへえ、最低。
と、舌を出したアレックスだったが、待ちぼうけをくらっていたこともあり、腹いせのような気持ちでこの修羅場(だと思う)の顛末を見守ることにした。
気が合うか合わないかは別にして、アレックスの知る兄はまっとうな軍人で、どちらかと言えば潔癖なところがあるように見えるぐらいの、エリートだった。上からも下からも覚え良く、まさに順風満帆、将来の出世が約束されているような男だ。
最年少の艦長に就任するのも、すぐそことか言われてたような気がする。
自他ともに認めるぐうたらな自分をそんな彼はよく叱ったが、少なくとも俺は女の子をこんな風に泣かせたりはしない、とアレックスは思った。意外な弱点なのか、もしくは欠点なのかは知らないが、すました兄の弱味を握るチャンスではある。
身をかがめて古いフォードの影に隠れながら、アレックスは少しずつ二人に近づいていく。
しかし、兄にこんな薄情な一面があるなんてまったく知らなかった。
(そりゃ、口やかましいところはあるけどさ)
冷たいと思ったことは一度もない。
「どうして、私じゃ駄目なの?」
それは映画のワンシーンだとかで聞かれる陳腐な台詞だった。それでも美女の涙と供にあれば、それなりに真に迫ったものに聞こえてくる。ストーンは無表情のまま、短い拒絶の言葉を口にした。
氷のように冷たい声だった。
そして、こう続けた。
「愛している人が……いるんだ」
アレックスはタイヤの隣でしゃがみこんでいたが、思いも寄らなかった台詞に思わず立ち上がってしまいそうになるのをぐっと奥歯を噛み占めて耐える。こんなところが見つかったら大変だ、今ストーンの家を追い出されても寝泊まりする場所がない。
新しいクッション、買ってくれたばかりじゃないか。
「誰も代わりには出来ない」
ただ、こんなストーンの声を聞いたのは初めてだったから。
掠れて、苦しげな、低く抑えた声。アレックスはどんな顔をしてこの先の話を聞けばいいのかわからず、耳を塞いだ。だから彼女が何を訴え、兄がそれをどうやって退けたのかわからない。知りたくもなかった。
仕事も金もなくなって、ストーンの家に転がり込んでしばらく経つのに、まったく知らなかった。兄に、あんな声を絞り出すほどに、深く思っている相手がいるなんて。
見当もつかない。
(……かわいそうに……)
しばらくして視界の端の方を駆け出して行く鮮やかなコーラルピンクのサンダルが見えたので、勝負がついたのだと思ってアレックスはほっと安堵の息をついた。
真面目な恋愛ごとは苦手だ、とでも言うようにうなだれながら。
アレックスは今まで、誰かに恋をして、焦がれて泣いたことはない。そんなに苦しい思いをしてまで恋愛しなければならない理由もわからなかった。
他にも楽しいことはあるだろうし、恋愛にこだわることもないだろうに。
あんな声を出すぐらいなら、とアレックスはきゅっと下唇を噛んだ。
「……遅れてすまなかったな……」
と、その時、ぽん、と頭の上に置かれた手の平。
(やべえ……)
そのまま顔を上げ、後ろに目を向ければ立っていたのは、兄のストーンだ。つい油断してしまったが、これは最悪のタイミングかもしれない。
「あ、いや、その……」
立ち聞きするつもりはあったというか、なかったというか、と言い訳しようとするが、ストーンはいつものように目を三角にして怒り出すことも、氷のように冷たい目でにらみつけてくることもなかった。ただ、無理をするように笑って(いるように見せて)、頭を横に振った。
これは、誰だ?
俺は知らない、とアレックスは思った。
「あの……さ……?」
ストーン?
アレックスは立ち上がりながら、兄の顔を覗き込んだ。身長差がコンプレックスの一つではあったが、こんな時は役に立つ。
ほら、ちゃんと顔が見えるだろ?
ヘイ、こっちを見ろって。
泣いているのかと思ったけれど、瞳は濡れていなかった。そのかわり、今まで見たことのない鈍い光が灯っているように見えた。昨日見たブルーと今の色が、違う。
「ストーンなら大丈夫だと思うぜ?何なら、応援してやってもいいし。な?そんなにへこむなよ」
背も高くて、ワイキキでも、たぶん本土でも十分通用するハンサムで、エリートだ。
そこらの男には負けないって、俺が保証する。
「地獄だな」
普段そんなに弾む会話をしやしないのに、アレックスなりに兄を慰めようと話かけた。
「なんだよ、それ」
しかし、兄から返ってきた言葉はそんな一言で、アレックスはむっとして聞き返す。
「言葉のままさ」
ストーンはそう言って肩をすくめると、そのままこちらに背を向けて歩き出した。バーのある方ではなく、車に戻る。
「帰るのかよ!」
「おまえはどうする?」
肩越しに振り返ったストーンの表情はまるで人形のようで、動いて話すのが不思議に思えるほどだった。
ぞくり、と背筋に寒気が走ったのは気のせいではなかった。殺気のようにも思える気配がじわじわと兄から漂ってくる理由がアレックスにはわからなかった。
秘密を知ってしまったからなのだろうか?
それとも、慰めたつもりの言葉がそれほど気に障ったというのだろうか。それならいつものようにげんこつを落とすなり、頬をひねり上げるなりすればいいのに。
「ストーン?」
「……全部使っていい。だからしばらく帰ってくるな」
低く、唸るような声とともに放り投げられたのはストーンの財布だ。
「え?」
「暗証番号はおまえの誕生日だ、好きに使え」
知ってるよ、とアレックスは言いそびれた。車に乗り込んだ兄が大きな音を立ててドアを閉め、こちらを見ることもなく走り去ってしまったからだ。タイヤがアスファルトをひっかくような音を立ててあっという間に見えなくなる。
彼の荒っぽい運転も、初めて見た。
「……何度、ちょろまかしたと思ってるんだよ……」
それは兄も当然知っていて、度が過ぎない範囲と判断したのだろう、今まで何も言わなかった。
「好きに使えって?」
別に、欲しいものなんてない。
アレックスはそう呟いて、その場にしゃがみ込んだ。妙な緊張が解けたからかもしれないが、それよりも道に迷ってしまった子供のように、所在なく感じられたからだ。
どこに行って何をすればいいのか、わからない。
「……俺が何したってんだよ!」
馬鹿兄貴!
そう悪態をついても聞いてくれる兄はどこにもいない。仕方なしに街に出ようと思ったが、それが正解かどうかもわからない。
アレックスは大きなため息をついた後、八つ当たりをするようにストーンの財布をにらみつけた。
*** *** ***
一人でいてもつまらない。
アレックスの出した結論はこうだ。ワイキキに出たものの、どこでどう遊んでいいかもわからず(名誉のためを言うなれば、友人とつるんでならいくらも遊び方は知っている)、気取ったホテルで金を使うというのもあまりにらしくなくて、ロビーにも入れなかった。
明日になれば海へ誘う仲間は捕まっただろうけれど、電話をかける気にもならなかった。
「……ただいま」
ストーンがいくらがみがみ言っても、結局最後には「愛してるぞ」でお説教は終わる。平手打ちをされるぐらい怒らすことがあっても、やっぱり最後には足が浮くほどの力一杯のハグだ。
色々自分のことを心配して、あれこれ手を尽くしてくれているのも知っている。
だからそんな彼があんな風になってしまったのをそのままに浮かれて遊ぶことなんて出来ない。
だってそうだろう?ストーン。
愛してるには、俺だって愛してるで答えてきたんだから。
「……」
深夜二時は回っていた。もしかしたらストーンも家に戻っていないかも、と思ったけれど彼はアレックスがいつも寝ているソファに座って、音を消したテレビを眺めていた。視点が合っているのかもわからない。
彼はこちらを振り返らなかった。
「……なるほどな……」
アレックスは肩をすくめて、財布をローテーブルの上に放り投げた。1セントだって使っていない。
こういうのは隠れて少し使って、怒られるかな?なんて考えながら様子を見るのが楽しいんだからさ。
そんなことを考えながらアレックスはストーンのすぐ隣に腰を下ろした。それから首を傾けて、兄の表情を伺う。
変わり映えのしない、無表情。
それから視線をテーブルに戻すと、なるほど、ともう一度呟く。いくつかのフラットの賃貸契約書が置いてあったのだ。
話というのは、そういうことだろう。
兄はついに弟を追い出すことにした。
「……どうして……」
兄はそう呟いて、顔をこちらに向けた。そして、大きな手で長く伸ばしたアレックスの髪をくしゃりと掴む。撫でるとか、梳くとか、そういうよりももう少し乱暴な動きだ。強く引っ張ったら痛いだろうな、と思わせるその仕草にアレックスはごくりと喉を鳴らした。
「ストーン……」
ストーンは髪を掴んだまま、指の背で無精ひげの生えた頬をこするように強く撫でる。それから、小さく舌打ちをして、頭を横に振った。
それでも彼の手は似たような動きをくり返し、体の向きもこちら側に完全に向け、もう片方の手は膝頭を強く掴んだ。
痛いと言えば、止めるだろう。
聞かれれば、痛いと言うぐらいには力が入っている。
しかし、アレックスは何も言わなかった。ようやく髪から離れた手が、兄のものより少しばかり肉厚の唇に触れる。あごをしっかりおさえつけながら、親指が無遠慮に唇をこすり、歯に押し当てるようにしながら捏ね回す。
「……だから出て行かせようと思ったのに……」
アレックスはその指の動きに意識しないまま、口の中を唾液で溢れさせた。何度も飲み干すほどに、物欲しそうな心地になりつつあるのを自覚していた。唇をこんな風に弄られることが、良い、とは知らなかった。
今までしたことのあるキスとは、違う。
親指はやがて唇を割って、歯をたどり、舌に触れる。上あごの裏を辿られればもう舌で迎えに行くしかない。
アレックスは指を深くくわえこまされたが、そのまま唇を閉じる。
「んむ……っ」
鼻のあたりから甘えたハミングが聞こえ、思わず目を細める。体温は確実に上がっているような気もするし、指をしゃぶっているのは悪くない感じだ。
というより、かなり、良い。
何なら、しばらく続けてもいいぐらいには。
気付けば、膝を掴んでいた手はいつの間にか太股を大きく撫でまわしている。
「……アレックス……」
ストーンの切羽詰まった声にアレックスは頬を緩め、息を継ぐように口を開き、ごくりと唾液を飲み干した後、こう続けた。
「代わりがいないんじゃ……、しょうがねえじゃん?」
ストーンはじっとこちらを見て、小さく「地獄だ」と呟いた。
「さあ?」
別に俺はどっちでも、とアレックスは言い終える前に、両の腕を兄の首の後ろに回した。この先に何をするつもりなのか、わからないほど幼いわけではない。
彼女はかわいそうだったな、とは思う。
彼女は、こんなストーンの目を見ることは出来なかったんだから。
まるで、殺気をこめられたように思えるほどなんだ。
「……くそったれ……っ」
それが、愛してるのかわりなら、こう答えるよ。
俺も愛してるよ、ストーン。
いつも通りさ。