<何の説明もなく同居している二人>
「……これは?」
マグカップにはたっぷりのホットチョコレート。スティーブは今も昔も料理上手、とは言えない。だから、このホットチョコレートも粉をお湯に溶かしただけのものだ。
その上に乗せたマシュマロも、昔見たことのあるパッケージが目についたから買ってきたもので、特別なものでも何でもない。どうやら最近は復刻版が人気らしく、スティーブはそのたびに色んな食べ物を買ってきてしまっていたが、なかなか食べる機会はなく、ストッカーに溜まっていくばかりだ。
いつもはホットミルクを飲んでいるバッキーに差し出して見たのだけれど、バッキーは思った通り怪訝な顔をして眉間に皺を寄せる。
「ええっと、さ……」
スティーブは少しばかり視線を泳がせて、バッキーが座っていたソファの隣に浅く腰かけて、唇を舐めて少し間を置いてから、続けた。
「今日は、バレンタインだって言うからさ」
バッキーには昔の記憶はほとんど残っていなかった。生活に不自由することはないようだけれど、慣習や行事やイベントについても忘れてしまったようだ。興味を示すこともなければ、積極的に調べようとも思っていないらしい。
ナターシャに一度相談したら、年間行事に興味のない大人の方が多いわよ(彼女はヘイト・バレンタインデー派らしい)、とばっさりやられてしまったので深く考えるのは止めた。
だから、これは自己満足だ。
「バレンタイン……?」
案の定、何も知らないと言うような顔で首をかしげるバッキーにスティーブは、手の平を合わせ、擦り合わせる。落ち着かなさを示す動きに一層バッキーの表情がこちらを訝るものに変化していく。
よし、覚悟を決めて言うぞ。
照れてしまうのはその後だ。
「好きな人に、プレゼントをしたりして……あと、チョコレートやキャンディとか、お花とかさ……色々、なんでもいいらしいんだけどさ……、うん、その、好きだって伝える日なんだって」
だから、今日はホットチョコレートにしてみたんだよ、と少し早口で言い切ったスティーブにバッキーは少しの間を置いて、
「好きな人……?」
と、一瞬、きつい一言とも思える返事をした。
「うん、そうだよ、バッキー。僕は、君が……好きだから」
何度か言ってはいたけれど、バッキーがそれを喜んでいるとは思えなかったし、受け入れてくれてるのかどうかもわからなかった。いつだって彼は「わかった」としか言わないのだ。
だから、まあ、もう伝えるだけで十分と思うようになってきていたのだけれど、この反応は少しばかり胸が痛い。
「……じゃあ、俺も何か……おまえにあげないと……」
しかし、その痛みなど、続いたこの一言によって、すぐにどこかへと霧散してしまった。かわって、指先まで一気に満ちる幸福感に、顔が熱くなる。
「何か欲しいもの、あるのか?」
俺にはわからない、と真顔になったバッキーがいとおしくて、スティーブは自分の顔が笑み崩れて行くのを承知しながら、ゆるく頭を振った。今が幸せの絶頂だとも思えたから。
これ以上を望んではいけないと思った。
「雪が……そうだね、雪が止んだら、外を一緒に歩いて欲しいんだ」
実は、マフラーと手袋も支度してあったのだ。紙袋をソファの下から引っ張り出すと(無理矢理押し込んでいたので、少しよれてしまっていたが)バッキーは目を細め、少しこちらを睨むように見た。
「もらってばかりじゃないか」
「いいんだよ」
当然、とスティーブは笑って、怒らないで、と言いながら包みをバッキーの膝の上に置いた。プレゼントなんて久しぶりだったから、スティーブとしてもいまいちセオリーだとかルールがわからない。
むくれないで、と言うようにぽんぽん、と二回ほど軽く包みを叩くとバッキーは「わかったよ」とぽつりと呟いて、マグを口に近づける。
「僕はもう、一番のプレゼントをもらったからさ……」
「何もあげてないぞ?」
「……君に会えた」
バッキーはスティーブの言葉にもう一度頬をふくらませて、今度は溶けかけたマシュマロを唇で迎えに行き、あむ、と口の中に入れる。甘さに口元が緩み、表情も柔らかくなる。
それからもう一口。
どうやらホットチョコレートは気に入ってもらえたようだ。
「なるほどな……」
バッキーは軽く肩をすくめてマグをゆっくりテーブルに置いた。そして、こちらを向いて、片頬をあげて笑った。それはかつてのバッキーのようで、今のバッキーらしさもあって、好きなだあ、とスティーブは思った。
それを上手く言語化出来ればいいのだけれど、どうにもこういう時は口下手になってしまうようだ。演説なら出来るのに、と冗談めかしてしまえばいいだろうか?
しかし、スティーブはそれ以上のことを口にすることができなかった。
「……バッキー……」
目の前にバッキーの顔が近づいてきて、チョコレートで甘くなった唇で、キスをくれたからだ。
ちゅ、ちゅ、と二度ほど音を立てた、軽いキス。
まるで、ノックだ。
「これぐらいしか俺にはあげるものがないからな?」
そう言って片目をつむったバッキーのチャーミングにスティーブは抗うこともできず、顔を真っ赤にして目を見開くだけだ。
「雪には慣れてる、出かけようぜ?」
「……そ、そうだね、うん、……えっと、バッキー?」
「ん?」
「ハ……ハッピーバレンタイン!」
返事はビー・マイ・バレンタインなんかが正しいと思うのだけれど、それを知らないバッキーのそれは、もう一度のキスだった。
出かけたくなくなった、とは言えなかったのでスティーブは思い切りのハグで、それを伝えることにした。
もちろん、それだけでは伝わらず、寒空の下、でかけることになってしまったのだけれど、十分、相当に、幸せだったのは間違いない。
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そうだよね、こういう話をいっぱい書きたいな。
しびるおーまでに書きまくりたい……