“I LOVE YOU” Reese/Finch #Person of interest

140223 FreePaperより

もう、二度と。
口に出来ないと思っていた言葉がある。
「……そう何度も確かめる必要はないだろう、リース君。傷はもう完治した」
今の俺をこの世界と結びつけてくれている唯一の存在、雇い主のフィンチの手に走った赤い一筋の傷を忘れることなど出来ると、彼は本当に思っているのだろうか?
鋭利な刃物でつけられた一筋の傷はけして浅くなく、そしてけして深すぎもしなかった。その傷を見て、ある女の常人では理解し難い思考回路以上に、彼女が怖ろしい存在だということに俺はすぐに気がついた。
その傷は痛みを確かに感じさせ、回復期に油断をするとすぐに悪化していまう、そんなたちの悪い傷だったのだ。まるで心についたそれのように、じわじわと宿主を弱らせ不安にさせていくものだった。現にフィンチはしばらくの間、その傷に翻弄されていたように見えた。
本人もある程度は認め、ある程度は隠していた。
そのバランス感覚を俺は恐れた。
「君ならこのぐらいの傷、気にしないんだろう?」
強がったように聞こえるこの台詞も、怯えの一つの形なのだ。ある程度自分で心が制御出来ると思っている人間ほど、過信してしまいがちだ。
今のフィンチはあの女に深層心理を支配されているのと同じようなものだ、と俺は感じている。そうやって何人もの人間に、秘密の有り無しを問いただしてきたのだ。真実かどうかはむしろ関係なくて、都合の良い答えが欲しい時にも色々な手段をとってきた。
だから、わかるのだ。
「俺はな」
死にかけたこともあるし、と悪戯っぽく笑ってみても、フィンチがそれに笑みで答えることはない。あれはあれで、彼を揺さぶった出来事の一つだ。
彼には守らなくてはならないものがたくさんある。その願いが強ければ強いほど、脆さも出てくるということに、彼は気がついているのだろうか。そればかりはアルゴリズムでどうこう算出出来るものではないのだ。
だから、俺は、少しばかり卑怯な手を使うことにした。
「あんたは表ではごく普通の生活をしているんだろ?」
詳しくはまだ知らないが、と今は調査をしていないことを示しておいて、俺はゆっくりと続けた。この声が囁くように潜められたのは誰かの盗聴を気にしているせいではない。
より深く、彼の奥のところに響かせるためだ。
「普通の人間はこんなところに傷を作らないんだ」
そして、すうっとかすかに残った傷跡を指先でたどる。神経に届いてなくて良かった、彼の自由をこれ以上奪わせたくはなかった。
「まあ、そうかも……知れないが……」
フィンチは動揺しはじめたのかまばたきの回数が増えてきた。そして、距離を取ろうと言うのだろう、椅子の肘置きに手をかけた。自由が利く方の足で一つ蹴れば、離れられるのにそれをしないのは、まだこの俺に十分な利用価値があるからだろう。
彼は厳しすぎる理想の理性を持っている。
それには不要となる、優しさも持ち合わせているのが、彼の不幸かも知れないし、世界にとっては幸福なのかもしれない。まだ答えは出ていないが、俺は、盲目的な期待はしていない。
今、この現状でも、十分だった。
彼は、自分をつなぎとめてくれた。それが優しく差し伸べられた手なのか、荒縄なのか、茨なのかはまだわからない。
だけれど、俺にはやっぱりこれで十分だと思えたのだ。
「……フィンチ、あんたが無事で、本当に良かった。
だから、俺は彼を守らなくてはいけない。
そのために有効なことならば、何でもするつもりだ。とうに身は捧げているのでね。
「……愛してるよ、ハロルド」
俺はどぎまぎしているフィンチに構わず、そう続け、唇を手の平に押さえつけたのだ。
彼にとって、絶対聞くことないと思っていた台詞だろう。
そう、俺はこの言葉を失っていたからな。当然だ。ジェシカに語りかけてきたそれと同じ形ではもちろんない。
これは、非科学的なことを言えば、呪いと一緒だ。あの女が傷によってフィンチにかけたそれを打ち消すために仕掛けた、呪いだ。彼女はウィルス、と言うだろうがな。
「だから、もう……絶対にあんたを傷付けない。誓うよ……」
囁きは確実にフィンチに届いていたが、彼は何一つ、答えなかった。少しの震えと、怯えと、そして驚きに揺れる瞳に、俺は笑いかけた。
計算違いに動揺する様は実に見物だった。
目には目を、歯には歯を、呪いには呪いを。
「お茶を買って来よう。甘いものも」
「……あ、ああ……頼むよ、リース君」
手をキスを受けた時の形そのままに固まっていたフィンチはその声に正気に戻ったように顔を上げたが、すっかりその声はひっくり返ったようになっていた。
無理もない。
ショック療法だったのは、承知している。俺はわかりやすく片目をつむって見せて、雇い主を部屋に残したまま外に出かけた。
彼が今頃何を考えているかはわからない。
ただ、そこにあの女の介入する余地がないことを心から祈るだけだ。これから先も、彼を守って生きていく。
そのたびに、解けない呪いをかけられればいいと思っている。
彼がそれを望むと、望まざるとも。

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