140223 FreePaperより
「俺にはどうしてもわからないんだよなー」
世間一般のイメージから考えて、どう考えてもCIAのエージェントには見えない男、絵に描いたようなプリンス・チャーミングとよく言われる(もちろん口を開かなければ、という前提つきだ)FDRは、わざとらしく、こちらの注意を引くための大きな声でそんなことを言い出した。
「んー?」
俺もそんなに暇ではない。適当な生返事をしながら大好きな作家の新刊書を読みながら、ストレッチをしていた。スツールに座っていても、ソファに座っていても、FDRがまとわりついてくるので、トレーニングスペースで立ったまま壁にもたれて読むのが一番快適だったりする。
しかし、今日はそこへもこのパピードッグが現れたので、仕方なしに体を何となく動かして牽制しているところなのだ。
「一人の時間も大切でしょ?っていうやつだよ!」
そして振ってきた話題は目下一番触れたくないそれだった。ちらりと表情を伺うに当てつけのつもりはないようだったが、テレビか何かに影響されたことは間違いなさそうだ。
どうやらこの本をじっくり腰を据えて読もうとするには、どこかのモーテルにでも行かなくてはいけないかも知れないが、姿を消すとどこまでも技術と能力を使って探そうとする猟犬になってしまうのが、このFDRだ。
だから、それも出来ない。
唇を尖らせて、おまえがいなくなるのが悪い、と言われるとすぐに許してしまう俺もどうかしているのかもしれないけれど。
息子のジョーと会う日は多少の自由が利くが、その大切な時間に本を読むわけにもいかないので俺は少しばかり迷ったが今日のところは仕方がない、とブックマークを挟み、本を棚の上に置いた。
こちらはTシャツに、少し緩めのスウェット。FDRは今からデートか、と思うような格好をしている。
また外出か、とうんざりしたような目で訴えると、FDRは取り繕うにあたりを見回して、吹けない口笛を吹こうとした。
色々あって付き合うようになってからというものの、FDRの「デートしよう!」にはいい加減閉口している。任務でもずっと一緒、プライベートでもほとんどこちらの家に入り浸っているような状況なのに、さらにデートだ。
彼の祖父母のいる家に逃げ込んだ方がましかもしれないとすでに何度となく思っているのをFDRには言えていないが、実際そうだから仕方がない。
「それで、話の続きは?」
顔には出さず、俺は先を促した。ぴかぴかの革靴を見ると、今日はオススメの絶品ディナーへのお誘い、だろうか?男相手に何でそんなに気を遣うのがわからない。そういう関係、つまりキスをしたり、抱き合ったり、一晩中のセックスをするようになるまではピザとビールで十分ンだったじゃないか。
別にセックスするのにメルローのワインが必要か?
いらないだろう。
「俺は、タックとずっと一緒にいたいと思うし、一人で何するんだよ。俺が、ここにいるのに!」
ああ、そうだ。一人でいる時間っていうやつか。
おまえはそうだろうよ、と俺は肩をすくめておくに留めた。一緒にいたくない、というのと、一人でいたい、というのはイコールではない。
それを普通の人間は知っていて、FDRもかつていた山ほどの女達とはそういうスタンスで付き合っていたはずだ。それどころか、二股、三股、アバンチュールに現地妻、よりどりみどりだった癖に何を言っているんだ。
馬鹿か。
馬鹿なのか!
「それでな、タック」
何となく不機嫌になってしまった俺は、軽く整理体操のようなストレッチをした後、本を持ってこの場から離れることにした。ついつい俺はFDRに甘くしてしまうからいけないんだな、という結論を得たからだ。別れた妻からも、ローレンからももう何度も言われていることだけれど、命を預け合う仕事をしているせいか、皆が言うほどではないと思っていたのだ。
今考えれば、間抜けなことだけど。
「何だよ」
「……その、あのな?」
こっちの剣呑な雰囲気を察したのか、ワンちゃんの耳はすぐに垂れてしまう。長い睫と、透き通るような青い瞳で上目使いしてみたって俺には効かないぞ?何年の付き合いだと思っている、もう見慣れたもんだ。言いたげに唇を尖らせるのもなしだぞ。
「もしかすると……タックもそんな風に考えること、あるのか?と思って……」
はあ?
と、間抜けな声を出さなかった自分を褒めてやりたい。一人でトレーニングルームにまで行って本を読もうとしている人間に聞くことか?と思わず真顔になってしまう。おまえには何が見えてるんだ?と逆に聞いてみたいが、たぶん会話は噛み合わないだろう。
はあ……。
かわりに俺は大きなため息をついた。すぐによそ行きに着替えて欲しいのだろうけれど、とてもそんな気分にはなれない。
しかし、どう言えば伝わるだろうか。
任務中は一応隠しているらしい、ハートマーク溢れる愛情表現がこうして二人でいると際限なく繰り出されるのだ。疲れるわけではないけれど、通訳か何かを間に入れたくなる時もある。たとえばロマンス小説好きの主婦とか。
俺だって、十分にロマンチストだと思う。俺と付き合いはじめる前のFDRはまさにジゴロで、愛すべき軽薄さで楽しんでいたけれど、俺はそういうのが苦手だった。離婚も経験して、不器用で、家族の形もわからないまま一生一人かな、と思いはじめてもいた。
だから、まあ、この通り、邪険には出来ないのだ。ため息をついても、FDRの抱いている不安を肯定することは出来ない。
「俺は、この本を読んでしまいたいだけだよ。できれば今日中に」
だからディナーは行かない、とそれだけは断ることにした。
「……な、なるほど……」
俺といるより本を読むほうが楽しいのか?とFDRの顔には書いてあるが、俺はイエス、としっかりと頷く。
「じゃ、じゃあ……何かデリ買ってくる、それで、おまえがそれを読み終わるまで俺は……映画でも見ようと思う」
ふむ。通訳はいらないかも知れないな、ひょっとするとFDRの中では俺の答えがわかっていたのかもしれないな。焦ったような声と身振り手振りで繰り出す代替案は彼にしてはずいぶんと気弱だ。
「そうしてくれ」
「……あ、ああ。もちろんだ、それでかまわない!」
そうだな、うん、と頷いたFDRはその隣を通り過ぎていく俺を呼び止めようとしたようだが、結局料の手をぎゅっと握ることで、こらえたようだ。
「なあ、タック!」
しかし、五歩も離れてしまう前に後ろから声がかけられた。
「ん?」
ふりかえると、いつになく真剣な顔をしたFDRがそこにはいた。でもそうだな、眉のあたりに不安が集まっているのか、ずいぶんと強ばっているのが見てとれる。
「愛してるぞ」
たかが一冊本を読む間、三時間もかからないよ。
そうしたら一緒に映画を見たっていいじゃないか。何をそんな、この世の終わりのような顔をして言う必要がある?
「ああ、俺だって……愛してるよ、フランクリン」
片目をつむって、投げキスだってしてやれるけどそうはしなかった。こっちへ来た五歩分を戻って、がっつりとハグをしてやることにした。
すぐにテレビに影響されるんだから。きっと、そんなことを言い出した女がよそに恋人を作って、別れることになった、なんていう悩み相談番組でも見たのだろう。それにそういう経験が豊富なだけに、不安になるのもわかる。
俺がおまえみたいなクズじゃないことはおまえが一番わかっているだろう?
「……キスも欲しい……」
「つけあがるな」
げんこつを作って小突くと、痛いと良いながらも嬉しそうにFDRは笑った。
「読み終わったらな」
「……おお!おおお、そう来なくっちゃ、さすが俺のタック!愛してる!」
すっかりご機嫌になった親友兼相棒兼恋人は、俺の大好物ばかりを買いに行くのだろう、完璧なコーディネイトのまま、ガレージに向かった。
それで、この魚のフライおいしくない!と後で暴れ出すのだ。
「……俺がここにいるのに、か」
まったく、と苦笑いしながらも俺は口元が緩んでいくのを自覚し、一人で頬を赤らめてしまった。FDRに見られたら大変なことになるだろう。たぶん本も読めなかったし、ディナーもなくなった。
まあ、それはそれでいいのかもしれないけれど。
「今日は新刊が優先」
それが、一人の時間も必要だってことさ。
わかったかな、王子様!