140223 FreePaperより
「やあ、チョウ」
シアトル行きの列車を見送った後、バーボンを二杯だけ飲んで、家に戻ってきた。久しぶりの自宅だ。こんなに殺風景だったかな、と思ったのはここしばらく、サマーの家に入り浸っていたせいだろう。あそこには色々なものがあった。派手な服にメイク道具、それでも幼少の頃は幸せに暮らしていたのだろう、そんな写真もあった。そういえば、あまりそういう話をしていなかったな。
犬を飼うことに同意していれば違ったのだろうか?
彼女と出会ってからさほどの時間は経っていないような気がするけれど、もしかしたらずいぶんと時間が経っていたのかもしれない。少しばかり、今回はダメージが大きい気がする。
「大丈夫かなと思ってさ」
そこにジェーンが尋ねてきた。まるでどこかで見ていたかのような、タイミングで。
「……別に、何でもない」
少し、心臓が痛む気がするが、もしかすると続けていた鎮痛剤の後遺症かもしれない。
まさか。
そんなことがあるわけないとわかっているのだけれど、そんな風に考えてしまうのは少しばかり心が弱っているせいだろう。誰にも気付かれずに、静かに終わるべきだった。ヴァンペルトあたりはかなりの警戒を見せていたが、ごまかしてしまえるだろうと思っていた。
しかし、ジェーンは何にも言おうとしなかったし、サマーにさほどの興味もあるようには見えなかった。
「……どうかな?」
ジェーンは容疑者や参考人の家でやるように、勝手にキッチンに行き、紅茶を入れて戻ってきた時にそんな風に言った。彼が何でもお見通しという態度を取るのはいつものことだけれど、今回は少し違うように見える。
自意識が少し敏感になっているのだろうか、チョウは酔いのせいに出来ない状況を少し悔やんだ。
「……せっかく、君を自由にしてあげようと思ったのに」
何を言っているのかわからないふりをするには、鉄面皮が今は弱ってきている。チョウは黙ったまま視線を彼から逸らした。二人の関係は、わかりやすい名前などなかったはずだ。
自由など、元から奪われていない。
「どうして、君は幸せになろうとしないの?自覚あるでしょ」
かわいそうな人ばかりを気にかける。そう言ってジェーンはカップを置き、ゆっくりとこちらへと近づいてきた。そして、強ばったような肩に手を置いた。
「君は心も体も、十分に強い」
愛した女を彼女にために、と見送る強さがあって、普通の人なら病院や施設に缶詰にならないと止められない鎮痛剤依存からも意志の力で抜け出した。少年時代にギャングを抜けるなんてこともやってのけた。
それに。
僕がこんな風に近づいても、逃げない。
ジェーンはそこまでをどこかの舞台での口上のように言い切って、ふうっと長い息をついた。
「そんな君が僕は結構気に入ってるんだよね……」
困ったことに、とジェーンは笑って、その青い目に少し挑戦的な光を宿してこちらを見つめた。もう目を逸らすことは許されない、滅多に感じられない威圧感のようなものも感じた。
なるほど。
「そうだろうな……」
チョウはようやく口元にかすかな笑みを浮かべることが出来た。ジェーンのかすかながら見せる執着が嬉しかったのだ。調子がいいと、サマーには怒られるだろうか?
でも彼女なら、このあたりのところはわかってくれそうな気がする。
もしかしたら、すでに気付いていたのかもしれなくて、それがこの別離の根本に理由するのだとしたら、申し訳ないと思うが。
彼女には幸せになって欲しいと、心から願っているのだ。
これで、いいんだと何度も自分に言い聞かせた。
「手放そうと思ったんだよ、これでもね」
ジェーンのどこか人ごとのような声の調子に、チョウは深く頷いた。彼の近親者の命が狙われることは、もう折り込み済みだ。
「……大丈夫だ、自分の身は自分で守れる」
ジェーンはその言葉に、その柔和な顔立ちを一瞬ゆがめて(それは泣き出す少し手前、にも思えたが)、呆れたように肩をすくめた。それが彼の強がりだとわかるぐらいには、長い付き合いだ。
「……愛してるぞ……」
意図せず、唇から漏れたその台詞が誰に向けられたものなのか、チョウにはわからなかった。
だけれど、チョウはもう一度くり返した。
「……愛しているんだ……」
ジェーンは、知ってるよ、と小さく囁いて、チョウの薄い唇に、自分のそれをゆっくりと、そしてしっかり深く、重ね合わせたのだった。