140223 FreePaperより
ちら、ちら、とこちらを伺う視線に気づかないわけじゃない。だから、どうした?と促すと、青年ははにかんだようにとがった犬歯を除かせて笑うだけで、何も言わない。
目を合わせようとすると伏せられて、震えるまつげを見ることになる。
「……なあ、ショーン?」
こんなにも年の離れた相手を恋人にしたのは初めてなのだ、勝手がわからない。とは言え、まだ仮契約みたいなものだ。人の紹介(知人の甥っこだという)で出会って、おしゃべりをして、一緒に食事をして、映画を見て、お酒を飲んで……つまり、何かしらのハウツーブックのような経緯をたどってはいるけれど、これという決定的な何かがあったわけではないのだ。
ただ、ひしひしと伝わってくるのは、彼からの愛情だ。きっかけは自分が彼の好きな歌の詩を書いたというだけなのだけれど、最初のむき出しのファン感情のようなものは(手を振っただけで、顔を真っ赤にして硬直してしまったりするような、あれだよ)もうどこにもない。
目にまぶしいくらいのブロンド、すうっと通った意志の強そうな鼻梁、きらきらと憧れに輝くエメラルドグリーンの瞳。
その奥には、少しの焦りと、そうだな、確かな欲情だ。
ふむ、二十は離れた中年の男に物好きな、とは思うけれど。
しかし、なかなかどうして、悪くない。
今まで、名声に寄ってきた人間のどれとも違うのだ、彼のそのひたむきな愛情というのは。たとえば、今私に妻がいたとしたら、彼は何も言わずに去っていってしまうだろう。他の人間を誘って出かけようとも、責めたりはしないだろう。
一人、誰もいないところで泣いてしまうかもしれないが。
それが、どうにもたまらないと思うのだ。
「どうかな?」
「な、何が……!?」
声が裏返ってしまうほどの動揺は、自分にはもったいないと思う。それでもショーン両の手を開いたり、閉じたりして、落ち着かない様子でこちらを伺う。もちろん、視線を固定することもできない。
何度その靴の先を見ればいいんだ?
「二人きりで会うようになってから、三ヶ月目だな?」
そう、彼は、待ち合わせに一時間前に着いていたという。ずっと落ち着かないご様子でしたよ、とギャルソンは言っていたが、理由はわかっている。
言っただろう、まるでハウツー本のようなおつきあいだと。いつの時代のそれを参考にしているのかはわからないが、貞淑な美青年は何らかのルールブックが運命を決めると思っているらしい。
つまり、ショーンの頭の中は、三ヶ月目の今日、どんな展開になるかでいっぱいなのだ。日は落ち、ディナーも終えた。ホテルのラウンジでスコッチを一杯、ひっかけてもいいがどうだろう。
「こんなおじさんでいいのか?」
作詞は副業だ。普段は大手テレビ局の役員室でふんぞり返っている俗物だぞ?
金は持っているが、青年がそれを求めてきたことはない。仕事を紹介してやるという申し出もきっぱりと断られた。
「……ジョンは、格好いいもの」
それでも、まるで世界で一番のいい男になった気分にさせてくれる眼差しでこちらを見つめてくれる。瞬きするたびの星がきらめくようなのだから。
たまらない。
「そうか?」
うん、うん、と頷く青年に俺は覚悟を決めるしかなかった。
よし、今日は大事な日だものな?
「君を好ましく思っていたんだ、ずいぶんと前からな」
だが、少しだけ、意地悪をしよう。そのルールに添わないやり方ならもう少し早く、この時が来たかもしれないんだぞ?と言う代わりに。
「……うん」
理解力にややのんびりしたところのある青年は不安そうに眉を寄せて、それでもこちらの言うことに一つ、頷いた。
「毎日、君の声で起こしてもらうのも良い気分だ」
文字通り重役出勤が許される立場だが、定時に間に合うようにショーンが電話を入れてくれるようになったおかげで、毎朝普通に出社するようになり秘書に驚かれている。仕事もはかどり、胃の調子も良くなった。
そうだ、こんなことをつい気にしてしまうぐらいの年なんだぞ?
それでもいいのか?
「ジョン……?」
少しずつ、目が潤んできている。不安がすぐ、目に出るんだ。だから、そんな時、言葉の無力さを思い知るよ。君は私の詩で何度も泣いたと言ってくれたけれどね?
さて、覚悟を決める時だ。
「そうだよ、プリンセス。君はとてもきれいで、聡明とはいえないが、とてもいいこだ」
何とか堪えている涙が、じわじわと下まぶたに滲み始めた。決壊はもうすぐだな、と思った私は頬に手を当てる。
ああ、かわいそうに苛めが過ぎたな。
震えているじゃないか。
「だから、私は君を愛してしまったんだよ……」
彼の今日履いているお気に入りのブーツでは、こちらから見上げるようになってしまうぐらいの身長差になる。それでも彼はとても小さく、頼りなく見えた。不安と動揺と、多分少しの疑いだ。
盲目的な愛情は時に自信を失わせる。
「愛してるよ、ショーン。君の耳に聞こえる言葉がすべてだよ」
俺も、俺の方が、俺だって、愛してる。
そんな風にショーンから返ってきたのはひどく濡れた、涙声だ。支離滅裂の自己主張も胸がいっぱいになるぐらいにいとおしい。ハウツーもずいぶんと役に立つのかも知れない。このタイミングは、愛を言葉以上に確かめ合うの実にちょうどいいタイミングだ。
「今夜は帰さないぞ?」
そんな一昔前の口説き文句をあえて使った私は、青年の体を力いっぱい抱きしめる。
そして、心に誓った。
彼が愛されていると自信を持って、今以上に輝いてくれるように、惜しみなく愛情を注ごうと。
今、それを口にすると涙できれいな瞳が溶けてなくなってしまいそうなので、黙っているけれど。
さて、まずは彼が今までの人生の中で、最高の夜にしてやるつもりだ。
中年男の傲慢と笑う人間もいるだろうが、こちらも必死なのだ。そう、愛されるというのは、人を自信家に変えるものだよ。逆もまた、真なり。
昔から、そう言うだろう?