前回のムパラのペーパー企画で配布したヒドラキャップ×バッキーの短編。
このお話は
『あの日、列車から落ちたのがバッキーではなくスティーブだったら』
という盛大なIFストーリー長編を書いているんですが、そこからの抜粋(ダイジェスト)です!
こちらのお話はWSと平行しています!
かくしかじかで、私はこのお話を必ず完結させてやるという気合いに満ち溢れております。
まうみんシネマティックユニバースだと思ってください。
『32557 Winter Soldier Chronicle』の続編も書きます。
絶対にだ……!
もう少し便利の良い場所、治安の良い場所に住むようにと何度も言われた。だが、俺はサージェント・バーンズ、と呼ばれている通りアメリカ陸軍の軍曹職の平均給金しか受け取らないようにしているので、それ相応の場所に住んでいるというだけだ。
フューリーには呆れられたが、組織としてどうしても支払わなくてはいけないのなら戦死者の遺族のための基金にしてくれと頼んで、黙ってもらった。それに俺一人が暮らしていくには十分な額をもらっているんだ。
メンテナンスの難しい義手も、スターク・インダストリーの好意で最先端のものを用意してもらっている。他に何もいらない。欲しいものも特に何もない。普通に暮らしているだけで十分に満たされる、それぐらいこの時代は物が溢れていた。
きっと良いことなのだろう。
S.H.I.E.L.D.の本部の倉庫か何かで寝泊まりしてもいいんだ、本質的には。一度冗談で口にしたこともあったが、ナターシャにきつく睨まれてしまったので、こうしてダウンタウンやキャピトルヒルとアナコスティア川を挟んだ対岸、サウスイーストワシントンのこぢんまりしたアパートメントに住んでいる。
近所に俺をキャプテン・アメリカの親友で、彼の遺志を継ぎアメリカを世界を救った男、ジェームズ・ブキャナン・バーンズと知っている人間はまずいない。
フードをかぶって髪を伸ばしている、きっとバンドマンくずれの不規則な生活をしている男、ぐらいに思われているだろう。挨拶もそう交わすこともない。
ある意味では住みやすいとも言える。
俺にはあまりにも説明しなければならないことが多すぎるからな。この数年で嘘が上手くなった。
スティーブはどういうだろうか?
おまえは嘘をつくのは苦手というよりよしとはしない男で、表情を取り繕うことすらできなかった。それが原因でよくもめ事になっていて、何度路地裏に駆けつけたことだろう。
毎日のように俺は必死になってスティーブを探して、それから見つけて、手を貸した。それをおまえは喜んではいなかったが、俺としては満足だった。おまえが無事で、怪我をしなければそれで良かったんだ。
でも、肝心なところで、俺はおまえを助けることができなかった。手が届かず、あまりにも深い渓谷の底に、おまえの体が落ちていくのをただ呆然と見送ることしかできなかった。
最後の瞬間、おまえは笑ったよな?
どういう気持ちだったんだ?
俺がかわりに死ぬべきだったという気持ちが薄れたことは一瞬たりとも、ない。かと言って俺が今死んだところで何か良いことが起きるわけでもない。
だから、俺は俺なりにできることをしようとしている。
スティーブならどうしたか、そう考えるのは毎朝毎晩の神への祈りのようなものになりつつあるけれど。
『バーンズ!』
S.H.I.E.L.D.の管轄下に入ると決めたその日に渡された、移動式無線電話(今はちゃんとセルラーと言えるし、使いこなせる)に同僚のナターシャ・ロマノフからの電話が入った。
日付が変わったばかりの時間だ、何が起きたのだろう。彼女の声がこれほど動揺していているのを聞いたのは初めてだ。
「どうした、ナターシャ」
『ニックが、フューリーが車両ごと襲われたの。途中で離脱して、今は病院にいるんだけど……』
いつも冷静というよりは達観していて、おさえたトーンで話し、早口になることもない。そんな彼女の声がわずかに上擦って震えている。
「すぐに行く」
『ラムロウが迎えに……』
「わかった」
あの世界最高レベルの防御機能を備えた車輌を持ってしても、フューリーは逃げ切るのが精一杯だったのだとしたら、ことは重大だ。今はまだS.H.I.E.L.D.の中でしか動けないのだろうが、いざとなったら他にも助けを求めなければならないだろう。
それを組織が良しとするのかはわからないが。
「早かったな」
「まあな」
身支度と武器の状態確認をしてアパートメントの外に出ると、SUVが制限速度オーバーで滑り込んできたところだった。
すぐに助手席に乗り込むと、対テロ作戦部隊S.T.R.I.K.Eチームのリーダ-で、ほぼ今の自分と任務を共有している男、ブロック・ラムロウが運転席で肩をすくめた。
立場上は俺の方が上になるが(呼称ではなく、組織的な順列の話だ)戦略的なことやチームの人員統率は彼に任せている。
俺は元々はスナイパーで、接近戦においては現代で目を覚ましてからトレーニングを積んだだけに過ぎない。潜在的なパワーと速さ、そしてこの器用に何でもこなせる(ようにしてもらった)義手のおかげで常人よりはましな戦い方はできるが、それだけだ。
だから、俺としてはサブリーダーとして動いているのだが、ラムロウはいつも面白くなさそうに鼻を鳴らす。
気の好い男だとは言わない。
だが、彼がいなければ組織に上手く馴染めなかったろうとは思う。笑顔をふりまいたり、優しい言葉をかけるタイプではないが、気づけば世話を焼かれていることに気づき、笑ってしまうのだ。
笑いごとじゃねえぞ、と言われてもそういう態度に昔の戦友達を思い出して居心地が良かった。その話をするとうんざりするので、最近はにやっと笑うに留めているが。
「集中治療室に入っているが、かなり厳しそうだ」
ロマノフが動揺するほどだからな、とラムロウは言う。俺もその意見には同意で、顔をしかめた。ため息をつくのも憚られるほどの緊迫感に満ちた車内、これからどうするのか相談しようと口を開きかけたその時だ。
何の気配も、予兆もなく。
SUVのボンネットに何か大きな塊が落ちてきた。金属がめり込んだような激しい音と、衝撃に車体が揺れる。
「なっ!」
慌ててハンドルを強く握ってブレーキを踏み込んだラムロウだったが、車体にいくら重力がかかってもその塊はびくともしない。俺の肩から胸にかけては一瞬息が止まるほどにシートベルトが食い込んだというのに。
その塊は人間だった。
そして、その人間は大きく何かを振りかざす。
その瞬間。
衝撃で、目を閉じてしまったが直前に目に入ったのは、大きな円盤だった。金属の鈍い光も、見えた気がした。
それがフロントガラスに突き立てられたのだろう、防弾ガラスも木っ端微塵だ。車の外へと転がり出たが、その人間の姿はすでに離れたところにあった。そして、その近くにはバイクがある。
エンジンはかかったままだ。
俺は珍しく舌打ちをして、運転席側に回りラムロウの脱出のためにドアを引き剥がす。フロントガラスを突き抜け、ダッシュボード、ハンドルもやられていた。
そこに挟まれたようになっていたラムロウをどうにか引きずり出したがその様子もその人間は見ていた、ようだ。
人間というより、人型の影だ。
しかし影の手には俺にとって見慣れたものがある。
何も知らないものが見ればそれはマンホールの蓋のようなものに見えて、笑ってしまうかもしれない。現代社会においてあの形状は滑稽に見える。
でも、今までそれが。
彼を守ってきたんだ。
俺は、あれを知っている。
「……フューリーを襲ったのは彼だ……」
俺が立ち上がり、一歩、二歩と歩き出したのを確認したのか、影はバイクに跨がりエンジン音を唸らせると、あっという間に通りの向こうへと消えていってしまった。
「……彼?」
足をさすりながら立ち上がったラムロウの鋭い視線は何もない通りと、それからこちらに向けられた。
彼のことを信頼していないわけではないが、さすがに可能性の話を口にする気にはなれなかった。あの体格は男だ、とごまかすとあたりを見回す。
一台のバイク、さきほどの影がまたがっていたのを馬とたとえれば、こっちはポニーだ、が目に入った。あとで弁償しようと決めて、俺はそのポニーを拝借することに決めた。
「俺はやつを追ってみる、あんたはナターシャに警戒するように伝えてくれ」
「わかった」
また連絡を入れる。
俺はそう言って、ラムロウのどこか言いたげな表情に片頬を上げて答え背を向けた。
馬力の足り無さに加え、メタルアームの重さがタイヤに響いている。それでも俺はあの男を追わねばならなかった。
彼のことを。
俺は、よく知っている。
そんな気がしてならなかったから。
心当たりがあったわけではない。闇雲に走って追いかけたしても見つかるわけがないのはわかっていた。
それでも後を追わずにはいられなかった俺の前に現れたのは、あの人影だ。不意に道の前に出て来られたと思ったが、すぐに彼だとわかった。
誘導されるように高架橋下の立ち入り禁止区域に入った俺は、今まで感じたことのない動揺に目眩を覚える。
彼が誰なのか。
彼は。
「……スティーブ……?」
寒くもないのに震えていた。しっかり噛み合わせることのできない歯がぶつかりあってガチガチ音を立て、声も揺れている。
こんな風に警戒心なくよろよろと近づいてはいけない。
銃を持て、バッキー・バーンズ。
それこそ斥候の役目だ。
「……」
ついに顔の表情がわかるところまで近づいた。
他に、言葉は出なかった。
あまりに冷たい目でこちらを見ている男の顔、体は俺の親友、スティーブ・ロジャース、それ以外の何ものでもなかったからだ。
ただ、今の彼の眉間には深く刻まれた皺がない。
かつてそれは、たくさんの兵士たちの犠牲に胸を痛めていたスティーブの苦悩の証しだった。自分一人だけが力を持っていても足りない、と苦しんでいた。
俺はその時なんて言っただろう。
それでもおまえのおかげで生きて国に帰れる人間はたくさんいる。
おまえのことを誇りに思うよ。
そういうことを言っていたと思う。すっかり自分より目線が上になった男を見上げるように首を傾けて、俺はもしかしたら羨望の眼差しを送っていたかもしれない。
それについて彼がどう思ったかは知らない。
話をする前に、彼は奈落の底へと落ちてしまったから。
「わかっていたんだ……、俺は……」
でも、それが確実な彼の「死」であるとは俺は思っていなかった。
そのことを一度か二度、ハワードの息子、トニーに相談したこともあったが「あらゆる技術を持って父も、自分も探査を続けてきた。それでも見つかったのはあんただけだ」と言われてしまい、それ以上の追求はできていない。
しかし、スティーブは完全に成功したと思われる超人血清を打たれていた。俺の実験で打たれたまがい物とはまったくの別ものだ。それでも俺は七十年間の氷漬けから腕一本を凍傷で失っただけで済んだ。
可能性としては、スティーブの生存もありえる話なのだ。
俺はどこかでそれを信じて、上に立つことを拒んできたのかもしれない。
いつかおまえが帰ってくると思っていたよ。
そう言って笑い合って、ハグをする。そんな都合の良い夢みがちなことを、ひっそりと誰もいない薄暗いアパートメントで何度となく考えた。
しかし、残念ながら。
現実は無情だ。
「ジェームズ・ブキャナン・バーンズ」
聞いたことのない、硬質な声に俺は一歩、後ろに下がるべきだった。
スティーブらしいところと言えば、顔だけだ。それなのに、俺は一歩と半分も男に近寄ってしまった。
「ああ、俺だよ……、バッキーだ」
そして、俺は両腕を大きく広げてしまったのだ。
彼がスティーブなら、俺はこうする。会いたかったんだ、とハグをすると決めていた。
しかし。
「……」
彼はスティーブではなかった。
少なくとも俺の知っている彼ではない。
にっこりとまるで映画俳優か何かのように完璧な、口角の上がったスマイルを浮かべ、
「……え?」
俺も同じく笑顔を返そうとした瞬間、俺でも目に見えないぐらいの速さで、彼は俺の腹部を強く殴った。
一度。
「ぐぅ……ぇ……」
それから、わき腹を上へと突き上げるように、もう一度。
肋骨が折れる音が耳に届くまで、俺は事態を把握することが出来なかった。あまりの痛みに膝をつき、せり上がってきた胃液を吐き出す。
「げほっ……げほ……っ」
咳き込みながら、どうにか顔を上げようとするが、それよりも早くスティーブが俺の襟首を持って無理矢理立ち上がらせた。
そして、その手は俺の喉を覆う。
じわじわと力がこめられていくことを自覚しながら、俺は抵抗することができなかった。
わかるか?
いや、誰にもわからない。
こんな愚かな男の考えなど。
「うぅ……」
息もろくに出来ず、頭に血が上ってくるのがわかっていながら俺の両腕はだらりと下げたままだ。
何のためのパワードアームだ、バッキー・バーンズ!
「スティ……ブ……!」
スティーブの青い目が、俺を凝視している。以前から強い眼差しを持っていた、信念が宿るまっすぐな瞳。
しかし、今のそれは氷で出来ていると言っていいほど冷たくて、そして光がなかった。俺しか見ていないのがわかるのに、何も見ていないような、そんな風に見える。
瞬きもしていないのかもしれない。
そしてスティーブのように見える男はゆっくりとそのまま首をかしげ、それからそのまま。
俺の唇に。
「……!」
彼のそれを重ねた。
動揺にびくっと全身を震わせた俺に、蝿を払うように鬱陶しそうに首を横に振ると、仕切り直しとでも言うようにもう一度、今度は口開いて、キスをしかけたのだ。
俺がかろうじての抵抗で唇を引き結んでいると、苛立ったようにそのまま歯を立てた。首を掴んだ手にも力が入る。
苦しさと、痛みで思わず開いてしまった口の中にぬるりと男の舌が入り込んできた。何かを探しているかのように、スティーブの舌が俺の口の中で暴れ回る。火傷しそうに熱いのが不思議だった。
舌も冷たければ、まだ正気を保てたかもしれないのに。
俺はどうして、混ざる唾液の甘さを感じているのだろう。
「……ぅん……っ」
舌を噛みちぎってしまえばいいのに、それができない。
それどころか存分に嬲られてしまい、俺の体は息苦しさのせいだけではなく、熱くなってしまった。
あってはならないことだ。
「くそっ……!」
しかし、俺が理性を振り絞って遅まきの抵抗をするよりも早く、スティーブが「戯れ」に飽きたのか、顔を離し、もう一度首を強く掴んだ後で、その場に突き飛ばすようにして俺を解放した。
俺は再び咳込み、痛むわき腹に手を添えるがそれで楽になるわけではない。普通の人間なら、首の骨は折れて絶命していただろう。
そのぐらいの強さだった。
そして、かつての親友だった男は体をかばって背を曲げた人間を睥睨するように見下ろし、
「愉しいことになりそうだ」
ただ、一言。
そう言ったのだ。
「……スティーブ」
俺はそれ以上のことは何も言えなかった。彼が再び俺に背を向けて、どこかへ行ってしまうだろうことがわかっていても、腕を上げることもしなかった。
渾身の力を振り絞れば、相討ちぐらいは叶うだろうのに。
どうしてもできなかったんだ。
だって、彼は。
スティーブ・ロジャース、俺が最後まで一緒にいると誓った、唯一の人間だったからだ。
そんな彼が生きていた。
俺には彼をもう一度失うことなんてできるわけがない。
「……誰だかわかったんだな?」
再び別の車で俺を回収に来たラムロウは、小声でそれだけを問うた。
「……俺の頭の検査が必要だ」
俺は笑ってごまかすことも出来ずに、そうやって自嘲気味に呟くことしかできない。
「まずは怪我の手当てだ」
「……肋骨を折ったのは七十年以上ぶりだ」
「治りも悪くなってるかもな」
お互い険しい苦い顔をしたまま、ジョークに聞こえるように会話を続ける。口の中は苦く、あのキスの時に感じた甘さはもうない。
残っているのは血の味だ。
「フューリーも厳しいだろう」
「そうか……」
もし神がいるのなら、今すぐ俺を罰して欲しいと願う。
俺は、たった一時間、二時間の間に「最低」の人間に成り下がってしまったんだ。
この数年、俺なりに贖罪のつもりで生きてきた。この世界でも友人と呼べる人間もできた。
それなのに、と俺は口元に手をやって、それから奥歯をぐっと噛みしめた。
そうでもしないと、頬が緩んでしまいそうで怖かったのだ。
世界の危機がそこまで近づいているのに、どうにかしなければと心から願っているのに、嬉しいのだ。
どうしても、この喜びを抑えることができない。
だって、スティーブが生きていたんだ。
「……愉しいことにはならないだろうな……」
それでも俺の理性がどうにか踏みとどまり、スティーブの残したセリフを否定させた。
あれは、スティーブではなかった。
スティーブでもあった。
俺の中の混乱が、判断を先延ばしにしているのだ。
「……そうだな」
少し間の置いたラムロウの返事に俺は二度、頷きを返した。それ以上の会話はもう難しい。
これから先に待つのが、夜明けなのか。
それとも、沈み行くだけの日々なのか。
何もわからないままだった。