【ザ・コンサルタント】SAT【C/B】

「ブラクストンにすがりつくまたは甘えるクリス」
リクエストいただきました!

大人げなかったと思っている。
今は海よりも深く、反省しているんだ、本当に。
「……行きたくねえな……」
俺は思いきり顔を歪めて、長い、長いため息をついた。どれだけ気が重くても、兄貴との約束の日に会いに行かないという選択肢はない。兄の方から中止の連絡がない限りは。
朝から何度もセルラーを確認しているが、非通知のメッセージは一件も入って来ない。
禁じ手として、昨日の夜はジャスティーンに兄貴の仕事の進捗具合を尋ねたぐらいだ。結果、全く問題なく今日の休日は確保できると知れただけだが、そのことに安堵したとは言えなかった。
会いたい気持ちはある。いつだって、そうだ。
できれば毎日顔を合わせておはようとおやすみが言いたい、できれば頬へのキスも。いや、贅沢を言えばもっとちゃんとしたキスを繰り返して、許されるなら一緒のベッドで眠りたい。
恋人なら、当たり前の希望だが、俺と兄貴は「そういう」関係とは少し違う。恋人同士がすることを全部、ほとんど、もしかしたらそれ以上?経験してきているけれど、違うんだ。
だから難しいんだよ、と俺はすっかりぬるくなってしまった朝起きてすぐに淹れたコーヒーを水を飲むようにごくごくと飲み干してから、もう一度深く、長いため息をついた。
俺達は兄弟だから。
もし、兄貴が別の人間に「普通に」恋してしまったら、疑似行為を続けることはできない。俺は兄貴の幸せを祝福して、愛想の良い弟として彼等をサポートする。
何なら完全に足を洗わせて、二人の慎ましく平穏な日々を守るために奔走するだろう。
この事はもう何度だって脳内でシミュレーションしてきたことだ。初めてのキスをした日も、初めて二人で体を重ねた時も、それからずっと、そうなのだ。浮かれ過ぎないように、多くを求め過ぎないように、そう言い聞かせてきた。
多分、兄貴からしてみれば、十年の空白に対する償いのつもりなのだろうとも思っている。
そうでなければ、あり得ないだろう。
だって、俺達は兄弟なんだから。
「……ううう、わかっていたはずなのに……」
そう、それなのに。
俺は先週、大失態を演じてしまったのだ。
珍しく、兄貴が一緒に酒を飲んでくれたから、調子に乗ってしまった。しかも、レストランで、だぞ?決まったものを食べることでストレスを最小限に抑えている男が、俺が少しジョークめかして言った「美味いと評判の店の個室の席が取れたから、行ってみないか?」という誘いをOKしてくれたんだ。
浮かれないわけがないだろう。
そこで、今日は飲んでみようと思う、なんて言われたらもうその場は天国と同じ場所になる。大げさでも何でもなくて。
そんな日が来ることを十数年、毎日考えて、毎日絶望してきたのだから、夢が叶うなんていう言葉すら生ぬるいと思えるほどの、感情の高ぶりだった。
結局、ソムリエお勧めのとびきりのワインのボトルのほとんどを一人で空けた俺は、一杯目を指先ぐらい残した兄を熱のこもった目で見つめることを抑えることが出来なかった。
愛していることも何度も伝え、指先でテーブルの上に置かれた兄貴の手の甲を引っ掻いたりなどした。居心地悪そうにする様子に「傷つく」と訴え、靴をそっと脱いで、テーブルクロスの下で兄貴の太股やふくらはぎを足先でこすったりもした。
してしまった。
クリームやソースを味わう時も思わせぶりに唇を舐めた。
どうしようもなく一人で盛り上がっていたんだよ。今思い出すとこめかみを撃ち抜きたい気持ちになるけれど、俺はちゃんと罰を受けた。
それも、死んだ方がマシだと思えるぐらいの、重たい罰を。
「おまえに頼みがある」
会計を済ませ、店を出て駐車係にチップを渡したところで兄が真顔でこう切り出したのだ。俺はもうその時には兄貴とのファックで頭がいっぱいで、早く家に帰ってめちゃくちゃにして欲しいなんて考えていた。
最低だろ?
わかってるさ。でも、愛している男のディックを欲しがることは悪いことじゃないとは思うんだが、どうだろう。
でも、俺を待っていたのは、やっぱり罰だったんだ。
つまり、よくないこと、だったんだろうと今では思う。
「ん?なんだ、兄貴……」
とろんと潤んだような目で俺は兄を見て、もう一度唇を舐めた。
「デイナの様子を見に行って欲しいんだ」
しかし、この一言で。
すうっと一気に酔いと高揚が冷めていくのがわかった。俺はどうにか真顔にならないように、口元だけは笑みの形を残しておいたが、よく出来たと思う。それぐらいの衝撃が俺を素面にさせた。
彼女のことはよく知っている。彼女を殺すように部下に指示をしたのは、何を隠そうとこの俺だ。そして、兄から彼女の素晴らしさを聞かされ、殺さなくて良かったと心底思った。
彼女に対して、特別に悪い感情は少しも持っていなかった。
本当だ。
だけど。
「……何かあったのか?」
「新しい職場に移ったという情報があった。それで、上手く馴染めているか……」
「なるほど。噂話で色々知られているかもしれないしな」
「そうだ……彼女はシカゴから移る気はないようだから」
「へえ」
なるほどな。
俺はこの時点でかなり平静を欠いていた。
ただ、殺されかけた割にその現場から引っ越すこともせず、ごく当たり前に毎日買い物にでかけ、食事もしているようなしっかり者、心配はいらないと思うけど、なんていうことを口にしないだけの理性はギリギリ残っていたのだろう。
訓練の成果はいつだって俺を助けてくれる。
ありがとう、親父。
本当に。
「職場のデータを教えてくれ。入り込んで、様子を伺ってみる」
「ありがとう」
しかし、ふわっと微笑む兄に、ついに俺の中の何かが壊れてしまったような気がしたのだ。
その微笑みが、あまりに幸せそうだから。
純粋で、暖かくて。
今まで見たことがないスマイルに見えた。
「俺がクリスチャン・ウルフの恋人だって言っておいてやるよ」
だからたまらず、意地悪をしてみたくなってしまったのだ。すぐにでも、抱き合いたいのに、キスをしたいのに、水を差すようなことを言う兄貴が悪い、そう思った。
「やめるんだ」
「なんで?」
「……僕とブラクストンは恋人同士ではない」
しかし、兄貴はそうきっぱり言った。
なあ、大した罰だろう?
それでも俺はその言葉に血が出ていないのが不思議なくらいの胸の痛みを覚えながら、にっこり笑うことが出来た。今日二回目のお礼だ、パパ。
ありがとう。
そう、わかっているさ。
俺は、兄貴の恋人には絶対になれない。
「だよな、ジョークだ」
「……」
「それじゃあ、俺、久しぶりにセールスマンみたいなスーツを着ることになるな」
俺は、セルラーに入ってきたメールを確認するふりをして、にっこり微笑んだ。そして、助手席の方のドアにかけていた手を離す。
「用事を思いだした。後は任せてくれ、調査の件は追って連絡を入れる」
「ブラクストン……?」
「兄貴」
俺は兄が不思議そうに頭を傾けるのに、ゆるく頭を振って説明を拒んだ。
そして、決定的な一言を言い放った。
「別の相手を探さねえとな」
兄の目が見開かれるのがわかった。
「ファックのさ」
俺は気にせず、そのまま彼に背を向けた。すぐにセルラーの電源を落とし、タクシーを捕まえるまでに三十分がかかったが、そんなことより死にたくなるぐらいの後悔の方が辛かった。
楽しい夜になるはずだったのに。
最高の夜になるはずだったのに。
俺が全部ぶち壊したのだ。
「……ううう、会いたくねえよ……」
だけど、会いたい。
さっきからずっとその繰り返しで準備が進まない。デイナの調査は上手く行き、彼女が新しい会社で楽しく、陽気に過ごしていることはわかった。すぐに友達も出来たようだ。
それから三日ほど、通勤の行き帰りを観察してみたが特にPTSDに苛まれているような様子はなかった。
それどころか、少し無防備過ぎるのではないかと逆に俺が心配になるほどだった。
そのことも含め、兄貴にもジャスティーンにも報告書を送っておいた。それはあまりにビジネスライクだったとは思う。ありがとう、の返事にいつもならすぐ電話を入れて声を聞こうとするのに、それもしなかった。
おやすみのテキストも送っていない。
モーニングコールもだ。兄貴の会計事務所に顔を出すこともしていない。
それで、辛いのは多分俺だけだ。
兄貴は何ということもなく暮らしていることだろう。デイナの新しい暮らしに安堵してご機嫌かもしれない。
結局、俺は、兄貴に対して大人げない態度を取ったことを反省し、それから、俺の言葉が彼に大した影響を与えることがないだろうと知るのが怖くて、家をなかなか出られないでいるのだ。
「……仕方がない、いくか……」
服もいまいち決まらない、と俺は舌打ちをすると仕方がなしに出かけることにした。
土産も思い着かない。
何を話せばいいかもわからない。
「……あーあ……」
嘆きの声が誰に聞こえるわけでもないのに、俺はいつまで経ってもぼやくことを止められなかった。

「……ん?」
んん?
俺は一時間半の遅刻で、兄の家に着いた。もちろん、出掛けにバタバタしていたから遅れるという連絡を入れて、彼からも了解の返事があった。何か足りないものがあれば買い物をしてくるよ、というメッセージには、特にないという返事も。
それなのに。
「どうした……?」
扉を開けてくれた兄貴の様子があまりにもおかしかったから、俺は口にくわえていたキャンディを落としてしまった。
「ヘイ……兄貴、なんで……そんな顔してるんだよ」
「別に……いつもと一緒だ……」
「一緒じゃねえよ、ちょっと待てよ……」
兄の顔色があまりに悪かったので、俺は慌てて彼の体を支えるように身を寄せる。
まるで一週間、食事を取っていないように見える。寝癖のようなものがついているような頭も気になる。指先だってずいぶんかさついていた。布地に引っかかるからそうなることを嫌っていたはずなのに。
「なあ、兄貴……?」
「やあ、ブラクストン……」
「やあ、じゃねえって……もう、何があったんだ……」
ソファの真ん中に座らせて、頬を手の平で優しく何度も繰り返し撫でてやると、兄貴は久しぶりに思い出した、とでも言うように深い呼吸をして、何でもない、と呟いた。
「何でもないって顔じゃねえだろ……。仕事を邪魔されたのか?何か嫌なこと思いだしたのか……?言ってくれよ。俺が何とかするから……」
「ブラクストン、なんでもない。来てくれてありがとう」
「ああ、礼なんて言うなよ。約束じゃないか」
「でも、おまえは約束していなかったら、来なかった……」
参った、と俺は思わず天を仰ぐ。俺が避けていたことに気付いていないと思っていたが、もしかすると、もしかするのかもしれない。
「ああ、そうかも」
だから、今回だけは正直になることにした。もう今更取り繕うことの出来ないことをあれこれ言ってしまった後だ。
「どうして……」
兄貴は俺の行動の理由までは理解できていないようだった。まあ、まあ、の成長具合いと言っていいのだろうか。俺は大丈夫、と繰り返しまた頬を優しく、できるだけ優しくなで続ける。
「おまえは、別の人間を……探すと……」
「ああ、そっちか」
俺が思わずむっとした表情をすると、兄は頬を強ばらせた。手の平にしっかりと伝わってくる感触に、俺はゆるく頭を振った。突き放してやってもいいところだけれど、あまりにも兄貴が弱っているのでどうにかこらえて、額に唇を押し当てた。
「ごめんな、あの日の俺は態度が悪かった」
そして、自分の方から謝ってしまった。確かにいくつかの点では俺も反省しているし、言うべきではないことも口にした。
俺だってデイナ嬢の件に関しては当然多少の罪悪感もあるし、フォローしたい気持ちはあったことなのだから。
もう少し、上手くやれた。
初心に返るべきだ。あんな風に外で食事を取れたことを何より喜ぶ、それ以上を望む必要はなかった。
だから、謝った。
「……ん?」
しかし、兄貴は目を閉じ、唇を引き結んでしまう。
「ヘイ……、兄貴……。それじゃわからない……俺はどうしたらいい……?兄貴のしたいようにしてくれ……」
強ばった唇を親指で撫で、両の瞼にキスをする。それから、兄の膝を跨ぐように乗っかった。腕を首の後ろに回して、頬と頬を合わせる。
「俺が反省したいのはデイナ嬢に嫉妬したこと……。それから、悲しかったのは……恋人じゃないと言われたこと……、謝りたいのはファックの相手を探すと言ったことだよ……」
俺はそう言って、兄貴の耳たぶを唇に含んで舌で転がす。いやいや、と体を揺らしはじめたがブラクストンは正直なことを言うまで続けることにする。
耳の後ろにも鼻先をすりつけて、それから首筋も吸い上げる。届くところにはすべてキスをしてやる、ぐらいのつもりでしていると、ようやく兄貴の腕が俺の背中に回った。
そして、そこにはぐっと力がこもる。
「ブラクストンは……ブラクストンだ……」
大きな手が背中にぐっと押しつけられる感覚に、思わず顔がにやけてしまうが、そのまま言葉を挟まずされるがままにしておく。腰に回った方の腕が俺の体を兄貴の方へと引き寄せる。
いつも俺がするように、兄貴の頭が俺の肩口に埋まった。額をこすりつけるようにして、一週間が長かったとかすかな声が聞こえてきた。
「僕は……ずっと考えていた……」
「何を?」
「僕以外なら、ブラクストンを……幸せにできるのかと……」
「おっと……そこまで行ってたか……」
俺はにやける頬を見せないように兄貴の首筋に唇を寄せる。愛していると囁きたいのも、何とかこらえる。もう少し、見たことのない兄貴を堪能したい。
「恋人というのは他人同士だ……だから、僕との関係に……は、当てはまらない……だ、だから、もし……おまえがその形を……望むなら……」
僕は、相応しくないと思った。
「ブラクストン……でも、僕はおまえを……失いたくない……」
ああ、なんてことだ。
あの、兄が。一人で何でも出来ると信じ、俺を遠ざけ続けた男が、俺にすがりついている。
腕の力はどんどん強くなり、俺は少し息苦しさすら覚えるが、それは最高の幸せをくれた。服を挟んでも、体温がはっきりとわかるぐらいに密着し、息をするのにも少しの力を必要とする。
それこそ、目眩がするほどの。
必死な強さだ。
「おはようとおやすみを言いたかったよ、兄貴」
だから、俺は今できる限りで一番の優しい声で、話しかける。
「……僕もだ」
くぐもった声のほとんどが息でも、俺にはしっかりと聞こえた。愛しい、愛しい兄貴の声だ。
泣きたいのに泣けない。
笑いたくても、笑えない。
そんな苦しみを抱えている兄貴に俺はかなり酷いことを言ってしまった。それでも、彼は一週間、一人で耐えてくれていたのだ。
俺が尋ねてくれることを祈りながら。
「兄貴から送ってくれても良かったのに」
「……怖かった」
兄貴は、返事がないかもしれないと思うと、と掠れた声で言った。
「あー……っくそ、かわいいな……!」
これは、もう、駄目だ。
俺はもうたまらず、しっかりと兄の体を抱きしめ返す。ぐっと体に腕が沈みこむぐらいに、強く。
「兄貴だけだよ、俺は兄貴しかいらない」
愛してるよ、大好きだ。
「また、ディナーに行ってくれる?」
「……悪戯をしないなら」
あれは、少し。
具合いが悪かった、と掠れた声で訴えられたので、俺は「やりすぎてごめん」と言うように鼻先を耳の裏あたりにすりつけ、愛してる、とさらに繰り返す。
「ブラクストン……」
んんっと咳払いを返した兄貴の耳元で、俺はキスがしたいと囁いた。そりゃ、もちろん、すぐにでも素っ裸になって抱き合いたい気持ちはあるけれど、今日の兄貴はあまりにも、しおれていて。
まずは愛情で満腹にしてやらないと、そう思った。
「……僕も、一週間……ずっとそう思っていた」
返ってきた答えはパーフェクトだった。俺はもう逃さないぞ、の気持ちをこめて太股でがっしりと兄貴の腰を挟む。
「じゃあ、たっぷりと……してくれ」
少し上半身を放し、舌を覗かせると兄貴の目の置くがキラリと光った。
そんな気がした。

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Sorry about that
の略でSATだそうです。

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