最高に羨ましいあいつ。
リターンズ。
まさか自分が「殺し屋」に狙われるなんて思っても見なかった。ちょっとばかり頭を使って大金を手に入れて何が悪い、と開き直ればそれで人生は薔薇色。十件の訴訟を起こされても、二十件の成功を取ればいい。
サイモン・デューイは半年前のあの瞬間まで、そう信じて疑っていなかったのだ。
突然、車に乗り込んできた男にサイレンサー付きの銃で脅され(実際は拳で二度も殴られ、肋骨を折った)(それだけで済んでラッキーだったのだろう)、サイモンは自身の経営する投資会社を翌日には手放すことを決めた。会社はもちろん、クルーザー、ヘリ、別荘三つを売り飛ばして、税金逃れのために隠しておいた一財産とともに、ケイマン諸島のジョージタウンへと逃げ出したのだ。
それから半年、彼は個人資産の運用のためのコンサルタント(平たく言えば脱税指南だ)として、島を訪れる金持ちを相手にしていた。
その稼ぎは前ほどではないにしても、そこそこ楽しく過ごせる程度ではあった。だから、つい、余計なことを考えてしまったのだ。
いや、考えただけでは済まない。
実行に移してしまった、というのが本当のところだ。
「サイモン・デューイ!」
しかし、それは大いなる過ちだったのだ。
「ひっ……!」
いつものように別荘地にあるカフェのテラス席で、モヒートを飲みながら仕事をしていたサイモンの前に一人の男が腰掛けるよりも先に、歌うような抑揚とともに自分の名前を呼んだ。
そして、椅子を大きく引いて当然のように向かい側に座る。両手はテーブルの上に置き、指先がタップを刻む。
「ヘイ、俺を探してたろう?」
男は人なつっこい笑みを浮かべ、小首をかしげて見せる。今その手に銃を持っていなかったが、きっとどこかに隠しているに違いない。
「あ……、その……」
サイモンが言いよどむと、男は「チチチ」と小鳥を寄せるように舌を鳴らすと、そうじゃないだろう坊や、と甘く囁くように続けた。
ごくり。
サイモンは生唾を飲み込み、彼の指示に従うべく言葉を探す。
「どうして、俺を探した?ホームレスにでもなっているかと思えば、今も十分快適そうじゃないか。不満か?俺に恨みでも?仕返しをしようとしたのか?」
彼はそう畳みかけたすぐ後に、それはそれはチャーミングなスマイルを注文を取りに来たウェイトレスに向けて、モカジャバってできるかな?なんて言っている。
甘党なんだな、そう思った。
「もう一度……会いたいと思って……」
結局、モカジャバを彼が半分ぐらい飲み終えたところで、サイモンはそれだけを答えた。
その間、男はサイモンの手際の良さを褒め、それからどうしてこの情報を知ったのかは聞かない方がいいだとか、クルーザーの名前があまりに酷かったから売り払って良かったな、だとかそういう話をしていた。
そして、そのサイモンの答えには、
「悪い子」
Naughty boy、と笑み混じりの声で言って、残りのモカジャバを一気に飲み干した。ぺろりと唇を舐め、それから、顔をこちらに近づけて、耳元で囁く。
「三度目はないぞ?」
そこではじめて、自分の胸のあたりに小さな赤い光が向けられていることに気がついた。
これは、映画とかドラマでよく見る、あれだ。
本当にあったんだな、とサイモンは言葉を失い、血の気が引く思いで男を見返す。
「わかったか?」
「あ、ああ」
「よし、いいだろう」
男はくつくつと喉を鳴らして笑い、席を立つ。派手な花柄のシャツに白いパンツ、スイスで見た装いとはまったく違うが、よく似合うと思った。
見納めだと思うと名残惜しいというか、何というか。
「その度胸は嫌いじゃないぜ」
腰を浮かしかけたところで、そう言われサイモンは大人しく椅子に戻り、これで終わりだというジェスチェーを返す。
男は納得したのか、そのままこちらに背を向けて歩き出す。それから五分ぐらいずっと胸のあたりからぶれない赤い光とにらみ合いをしていたが、ようやくそれがなくなった時には汗がシャツの色を変えていた。
「ふう……」
生きた心地はしなかったが、サイモンは「悪くない」と思えた。
いや、おかげさまで今回は無傷で済んでいるからなのだけれど。仕事どころではないな、とウェイトレスにモヒートのおかわりを頼み、椅子の背に体重を思い切り預けた。
「……案外俺のことを気に入ってたのかもな」
そして、一人でニヤニヤと久しぶりの再会を反芻することにしたのだ。
さすがに命を賭けることはしないとは思ったが、偶然を願うぐらいはしてもいいだろう、そんなことを考えながら。
「レーザーサイトなんて普段使わないだろ?」
あんなだせえやつ。
ブラクストンはライフルの入ったゴルフバッグを背負った兄に、内緒話をするように耳打ちする。
しかし、兄はそれには答えず、すたすたと大股で歩き出す。待ち合わせ場所に先に来ていたのはブラクストンだったが、そんなことはどうでもいいことらしい。
「遅れてごめん、ブラクストン」「いいんだ、気にしないよ」
ブラクストンはそんな一人芝居をしながら、兄の後ろに続いた。どうやら機嫌はかなり悪い、と見た。
「おまえはあの男に甘すぎる」
「んー?そうか?」
俺は殺人鬼じゃねえぞ?とブラクストンは笑う。あのぐらいの依頼でいちいち人を殺していたら、さすがに目立ち過ぎる。
「……」
しかし、兄はそういう話ではないと言うように、さらに足を速めてずんずんと前に進んでいく。一応のところリゾート地の体裁を整えつつある島で、彼のように面白みのない格好をした大男が仏頂面で歩いているだけで違和感を振りまいているのが、そこは気にならないようだ。
つまり。
単純に自分とあの男とのやりとりそのものが気に入らないとみていい。
本人がそれに気付いているかどうかは別にして。
「だってさ」
ブラクストンは兄の返事を期待せず、話し続ける。久しぶりにサンダルなんて履いたな、と思いながら。
「あいつのおかげで兄貴と旅行できたのが嬉しくって」
ジャスティーンから、俺のことをかぎまわっている馬鹿がいると聞いて、少し調べたらあの男だとわかった。一人で話をつけることは簡単にできたが、一応相談だけしてみようと兄に話したら、すぐにここへ来ることが決まった。会計士としての仕事で何度も訪れたことがあるらしく「機材」も十分に預けているだとか言って。
そういえばあの時からずっとご機嫌斜め、だったかもしれない。
キスがしてえな、と背中を追いながらブラクストンは思った。
「旅行じゃない」
「そう?水着持ってきたんだけど」
「……」
兄貴が海に入るわけがないし、プールだってもちろん。この島で唯一、長袖を着ているような気さえする。
まあ、それでもさ。
嬉しかったんだよ。
「……おまえが泳ぎたいのならば……」
しばらく歩いて、少しずつ歩く速さが落ち着いてきて、ようやく振り返ってくれて(目は合わせない)言ったのがこれだ。
うーん、とブラクストンは腕を組む。
兄貴にしちゃ、上々か?
「いいよ、言ってみただだけだ」
「……」
でも、と兄の納得していない表情にブラクストンは笑って、すぐ隣に並んだ。
「歩こう?」
「あ、ああ」
兄貴は「はっきり事態がわからない」状態を嫌う。今もそれだし、ずっとそうだったのかもしれない。今までレーザーサイトで人を脅すなんてこと、したこともなかったろうに。
「用事は済んだし、今から旅行ってことにしねえ?」
兄貴はしばらく黙って考えこんでいたが、どうにか自分の納得に近いところに考えを寄せられたのか、小さく頷いた。
「良かった」
ブラクストンが破顔すると、少し体の強張りが解けたのか、口元がかすかに緩む。
「水着着て欲しい?」
「……いや」
こういうのは、まあ、無理か。
ブラクストンは肩をすくめて、それからもう少しだけ近くに寄った。歩くと手の甲が触れるか触れないかのところだ。
手をつないでいる、つもりの距離。
「ボートがある」
「へえ」
「以前仕事でもらった」
「うん」
だから?ボートがあるからどうするんだ?
瞬きと微笑みで促すと、兄貴はふうっと息をついて、こう続けた。
「海を見に行こう」
「……はは、やっぱり俺兄貴のこと世界で一番愛してるぜ」
見渡す限り海だというビーチ沿いの道で、ブラクストンは「最高!」とその場で軽く飛び跳ねた。
噛み合ってないだとか、そういう話ではないのだ。
「……僕も」
僕もだ、と俯いたのは、ようやく自分の機嫌の悪さの理由に気がついたからだろう。眉間に皺をよせて「懸念」のことを思いだしている。
「な、もう今は旅行の時間だ。変な顔してないで、マリーナ行こうぜ」
ブラクストンはそう言って、方向を変え歩き出す。
兄もそれに続き、すぐ隣に並ぶ。
「僕もだ」
「知ってるよ、兄貴」
俺達は相思相愛だ、そうだろ?
兄はその質問に小さく頷き、モカジャバって何だ?と続けた。
「ははは」
本当に最高だ、とブラクストンは青い空を仰ぎ、にやける口元をどうにかしたくて口笛を吹いた。
モカジャバのことはしばらく気にしておいてもらおう。
やっぱりあいつは悪い子だったが、これ以上ないほど役だってくれている。何なら贈り物の一つや二つしてもいいぐらいだ。
これから二人でボートにのって青い海の真ん中で、おしゃべるができるんだ。
こんな幸福、味わえるはずがないと思っていたのだから。
「ブラクストン、モカジャバってなんだ?」
な、本当に最高だろう?
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息抜きのつもりがやけに長くなってしまった。
何なんでしょ、これw