もっと歩み寄りたい兄×着道楽ブラクストン
キャラと設定崩壊気味なので何でも許せる方向け。
(便宜上クリスチャン表記)
(文字書き泣かせ設定ですよね……)
act.01
これからは一緒に住もう。
その一言が言えないまま、ブラクストンと再開後、一ヶ月が経っている。新しい家を探すにしても、そろそろ彼の同意を得たい。とは言え、クリスチャンの中ではすでに決定事項なのだが、それを伝えるタイミングがまだない。きっと喜ぶはずだという確信はできているのだが、どうしても声が出せない。メモを書いたこともあるが、結局はシュレッダーにかけた。
離れていることが彼の安全のためだと思ったが、それが間違っていたことを思い知らされたばかりだ。これからはもっと確実に彼が関わる人間と環境を把握しておかなければ、とクリスチャンは考えていた。そのためには一緒に住むことが一番の対策だと確信している。
だから、そのことを伝えなければ。
ゆらゆらと体を揺らしながら、今日こそはと考えていると斜め向かいに一人分挟んだぐらいの距離を空けたところからブラクストンが視線をこちらに向けている。下の方から覗き込まれるようにされるのはあまり得意ではない。だから彼もたまにしかそうしないようにしているようだけれど、最近は多い気がする。先週よりは30パーセントぐらいは。
「俺が話してもいい?」
「ああ」
ブラクストンは顔を上げて椅子の背にぐっと体重をかけて、体を反らす。手足を伸ばしているのはブラクストンがリラックスしている証拠だ。それは良いことだ、とクリスチャンは小さく頷く。
「また事務所を開こうとしてるだろ?」
ブラクストンはクリスチャンの相づちを凝視しないように、それでもしっかり確認しながらゆっくりと話しはじめる。表情はスマイル、声の調子は抑揚がしっかりしていて、楽しそう、だと思う。
「モールを買った?」
「今回は大きなモールの新規拡張部分を抑えた」
「へえ、やるな。さすがだ」
ブラクストンに褒められると誇らしい気分になる。クリスチャンはもう一度頷いて、口元を少しだけ緩めた。
「それで店子はどうするんだ?」
「まだ決めていない」
その話もしなければ、クリスチャンは眉間に皺を寄せて頭の中でリストを作り順位付けしていく。本当はホワイトボードに書いて整理したいのだが、今この状況でそうするのは相応しくない。
「なあ、またクリーニング店入れようぜ?」
「続けて同じ業種は避けた方がいい」
ブラクストンは眉を大仰に上げて、その意見に賛成も反対もしなかったが、唇を尖らせてわかりやすい不満を見せている。クリスチャンは代替案を考えるべきかどうかを判断する必要があった。
しばらくの沈黙にブラクストンは肩をすくめ、理由を言っても?と促す。
「ああ」
「服が多くてさ。シーズンじゃないのを預かってもらいたくて」
服が多い、という状況をクリスチャンは経験したことがないので、ゆっくりと首をかしげる。今までのクライアントのことを考えれば、おぼろげながら想像ができる。マフィアのボスや権力者達の妻や愛人はドレスや靴のためだけの部屋を持っていた。
そういう感覚だろうか。
「ていうか、今のままじゃとても一緒に住めないんだよな」
ブラクストンはテーブルの端にまとめておいた書類のうちから、数枚を取り出してその場に広げる。いくつか目をつけておいた物件の間取りがそこには記されていた。
大人二人が暮らすには十分な間取りだ。しかし、クリスチャンにはそのことよりも直前のブラクストンの言葉の方が気になってしまい、彼が書類を散らかしていくのを止めることができない。
これも、これも、とブラクストンは指先で紙を弾く。
「クローゼットが足りない」
だから、一緒に住めない。
そんな理論が存在するなど、クリスチャンは考えたこともなかった。話が通じないストレスと、一緒に住めないと言われたことによるストレスとでクリスチャンは口の中でぶつぶつと計算をはじめる。よくある定理の証明式で、今の話に関係があるわけではない。
ブラクストンはそんなクリスチャンを見て焦る風でもなく、大きく息をついた。それから目を細めて、指の背でテーブルを軽くノックする。気付よ、の合図だ。
クリスチャンは内心の動揺をどうにか抑えながら、その合図に顔をそちらに向ける。目を一度合わせて、すぐ伏せたがブラクストンは笑っているように見えた。
「でも俺の部屋を全部クローゼットにしてさ」
これだとここ。こっちの家だとここ?
ブラクストンはそう言いながら、クリスチャンが想定していた通りの部屋を指差し、また笑う。
「そうだ……」
生活導線がスムースに行くような間取りを探した。その成果をブラクストンは理解してくれたと思うと、クリスチャンの動揺は少しばかり落ち着いてくる。
「寝るのは兄貴と一緒でいいだろ?」
クリスチャンはブラクストンの「当然」のような問いかけに即答することができない。
「……一緒に」
「そう、一緒に」
ブラクストンは誰よりもクリスチャンの特性について知っていて、対処法についてもやはり一番詳しい。だから、彼の提案は間違っていないのだろうし、了解すべきだ。
でも、とクリスチャンは問いかける。
「僕とブラクストンは一緒に寝たことがない」
「ああ、そうだな」
ブラクストンは当然のように言って、また笑った。なぜかとても嬉しそうに見えて、ますますクリスチャンの理解の範疇を超えてしまう。だけれど、これほどまでに動揺しているのにもかかわらず、暴れ出しそうな衝動は感じない。
計画を実行するには、イエスと言うべきなのだろう。
「俺は床でもどこでも眠れるんだ、慣れるまではソファでもいいし」
「でも、それでは疲れが取れない」
「大丈夫だって」
「……これ以上部屋数の多い家は目立つ」
「そうだろ、わかるよ」
「……ブラクストン」
だから、俺と兄貴が一緒に眠ればいい。
そうじゃなかったら、近くに家を借りるよ、とブラクストンは何の迷いもなくそう言うばかりだ。
近くの家で何をしているのか、わからないのは困る。
何かがあった時に、
「……僕が間に合わないと困る」
「そうだな」
ブラクストンはニヤニヤ笑いながら「後は兄貴に任せるよ」と、言って立ち上がる。今日はこれから夕食を食べに行くという約束をしている。クリスチャンとしては気乗りのしない提案だったが、裏の顧客と会食をすることもあったことを知られてしまい、どうしてもと頼まれたのだ。
「……大きなベッドにすればいい」
「そうすれば触れずに眠れるか?」
ブラクストンの言葉にクリスチャンは頷く。自分は大柄だが、ブラクストンはそうでもない。一番大きいサイズのものを選べば、問題ないと思えた。
「じゃあ、そうしようぜ」
言葉は肯定しているが、ブラクストンの表情は先ほどまでのものと違っていた。少しの不満が滲み出ていて、
「俺は狭いベッドに二人で寝るのが好きだけどな」
と、聞きたくもないようなことを口にした。
二人と言うのがブラクストンと誰を差すのかわからないが、これ以上は聞きたくない。
「ま、いいけど」
良くない、という言葉をどうにかぐっと飲み込んでクリスチャンは少しばかり額に浮かんだ汗を拭った。トレーニングでどうにかできるようになったことだが、苦労を要することなのだ。
「一緒に住もうぜ、兄貴」
これからずっと、と言ってブラクストンはクリスチャンの頭を撫でる真似をした。宙に浮いた手の気配は感じた。
彼はけして自分からこちらに触れることはないのだ。
クリスチャンは自分が望んでいることなのに、その事実に少し不満を覚えた。
尋ねてくれれば「僕は平気だ」と答える事ができるのに。
「さ、飯食いに行くぞ。腹ペコだ」
「わかった」
「テーブルの上を片付けてからだな、了解」
クスクス笑いながらブラクストンは手際よく書類をまとめ、元の通りにした。それから、絶対美味いって言うから、と自信満々に言う。
クリスチャンは頭の中でリストを書き換える。
ブラクストンが美味いと言ったものに、同意を示そう、と。
そうすればきっと、もっと楽しそうにしてくれるはずだから。
act.02
「なんでだよ!」
なぜか。
そう尋ねられたクリスチャンはすべての理由を過不足なく答えることができると、背筋を伸ばした。
同居を初めて一番驚いたことはブラクストンの持ち物の多さだ。確かに彼は予告していたが、よもやここまでとは思わなかったのだ。
ブラクストンは高額の報酬を兄を探すことと、服飾品を買うことに費やしてきた。フォーマルからカジュアルまで、小物に至るまで様々なコーディネイトができるように色々買いそろえていた。
仕事が仕事なだけに、顧客登録もできず目立った買い方もできなければ、手軽な通販も利用できない。苦労したんだ、とブラクストンはしみじみ言って、呆然としていたクリスチャンに「兄貴の好きな絵や銃と一緒だよ」と言った。
銃は仕事によって使い分けをするもので、絵は自分のためと言うより取引の道具で通貨の側面の方が強い。
けして、二十足近くあるスニーカーや、グラデーションが作れるほどの色を揃えたドレスシャツと同じとは言えない。結局、やっぱりコートを預けたいというのでモールにはクリーニング店を入れることになった。
ありがとう、兄貴。
嬉しいよ。
そう言われてしまえば、仕方がない。自衛は自分の仕事だ、とクリスチャンは警戒を怠らないように、と心に決めた。
まさか、コートにあれだけの種類があるなんて知らなかった。やはり最初の想定通り、ブラクストンはドレス部屋がある人間と同じカテゴリにいるのかもしれない。
「ニューヨークは危険だ」
ブラクストンが組織から抜けてからまだ半年も経っていない。彼は都会での任務をよく請け負っていたから、もう少しの冷却期間が必要だとクリスチャンは考えていた。
「仕事で行くわけじゃない」
「なおさらだ。無防備になり、油断が生じる」
「……買い物するだけだろ?」
「このあいだミラノに行ったばかりだ」
「あれはファッションウィークだよ、新作のコレクションをチェックしただけ。それを今度は買いに行くんだ」
ブラクストンはさも当然のように胸を張り、荷造りを続行させようとする。その旅行用トランクも見る限り新品だ。
「ミラノでも鞄を三つ、靴を四足も買っていた」
「ミラノだしな」
何がミラノだし、なのかはわからない。クリスチャンは頭痛をこらえるようにこめかみに親指を押し当てる。
「こんな郊外で派手な服を着ると目立つ」
そして、思ったままを口にした。ブラクストンが家から派手な服を着て出かけたことはない。荷物を持って行って、その場に相応しい格好に着替えることを徹底させていたことも知っている。
ランニングをする時はくたびれたスウェットを着ているし、部屋にトロフィーのように飾られているスニーカーはよそ行きだと言うことも、把握していた。
だから、この言葉は不適切だった。
彼は兄が手触りにこだわるために着ている服に何の文句を言ったこともないのに。
「そうだな、兄貴の言うことは全部正しい」
ブラクストンは少しの間の後、反論はせず、トランクの中身をそのままに閉じると、部屋の隅へと追いやった。
「……ブラクストン、僕は……」
「わかってるさ。危険だから。俺のことを心配してくれているから。兄貴には俺の趣味が理解できないことも、全部わかってる」
口調がきついわけではないが、いつもより一語、一語、区切るように言ったブラクストンはこちらをきろりと睨むと、首を横に振った。
「……僕も一緒に行けば……」
「なあ、兄貴。俺は我慢が得意だ、慣れてる。いいんだ。他の手段を探してもいい」
だけど、ともう一度首を振って、無理に笑顔を作ろうとしているのがわかった。フェイスマークで言えば、泣いているのと同じだ。
我慢が得意だ、なんて言わせたいわけではなかった。
「それよりあんたに無理をさせたくない」
いいんだよ、とブラクストンは自身にも言い聞かせるように言うと、ふうっとため息をつき、ちらりと時計を見やった。
「そろそろ時間だぞ?」
「……あ、ああ」
眠る前の日課のトレーニングは未だ続けている。ブラクストンと暮らすようになってからは、概ね彼が外部刺激を遮断してくれようと努力してくれていたからそうストレスは感じていなかったが、今日は必要だと思った。
ブラクストンは大丈夫だから、と笑う。
我慢が得意だから?
我慢に慣れているから?
「さあ、行けって」
クリスチャンは何も言うことができないまま、寝室に向かった。一緒に眠っても、指先が触れることもないぐらいに大きなベッドがある部屋だ。
でも、ブラクストンは朝起きるといつも端の方で背を丸めて寝ている。
二人で眠っていることなど、意味がないと思えるほど小さくなって。
「……わかった」
アラームを消したクリスチャンは荒くなった息を整えるために、いつもブラクストンが眠る側に腰を下ろした。耳の奥に残る爆音を振り払うように首を振るが上手く行かない。
気分が落ち着かず、かと言ってどう動いたものかもわからない。
「ヘイ……終わった?」
そこへ、ブラクストンが現れる。水のたっぷりと入ったグラスを持っている。
「あ、ああ……」
「頑張ったな。ほら、薬飲みな?」
そうだ、薬を飲む時間だ。まさか自分がそのルーティンを忘れるとは思わず、また少し動揺してしまったクリスチャンは促されるままに、ブラクストンの顔を見た。
泣き顔ではなく、怒っているようにも見えない。
でも、本当に?
「たかが買い物だ、そうだろ?俺は兄貴の方がずっと大事だ」
よしよし、とまた宙に浮いた手で頭を撫でたブラクストンにクリスチャンは、小さく二度ほど頷いた。
「どうしても欲しかった新作コートはジャスティーンが手配してくれるようだから、大丈夫だ」
本当はアルマーニのヴィクーニャのやつが欲しかったんだけど、さすがにメルセデス一台買える値段だと思うとな、と愉快げに笑ったブラクストンはしばらく色々服の話を続けた。
その半分も意味はわからなかったが、楽しそうなので良いと思った。
薬のせいなのか、ブラクストンの機嫌が直ったからなのか、クリスチャンの動揺も落ち着いてきた。
「もう寝る?」
「……いや、もう少し……」
話を聞かせて欲しいと小さくくぐもった声で告げると、ブラクストンはにんまりと笑って、そう来なくっちゃ、と嬉しそうに弾んだ声で言った。
ここで?居間で?ダイニングで?
「……ここで」
「寝っ転がりながら?」
「ああ」
ブラクストンは「了解」と言って、ベッドに腰かける。クリスチャンが体を横にするのを待って、隣に同じように並んだ。
手は触れなかった。
でも、いつもよりブラクストンの体温を感じることができた。そして、ゆっくりと目を閉じ、ブラクストンのおしゃべりを聞く。好きな色のこと、ワークパンツで良いのを探していること、時計には手を出さないようにしていること、細身のブーツが足りないと思っていること、そんなことを色々と。
ブラクストンが楽しそうに話すのを聞いているだけで、とても心地がよくて、幸せな気持ちになった。
ただ、ニューヨーク行きを許していれば、もっと嬉しそうにしてくれたかもしれない。そう思うとやはり少しだけ胸が痛んだ。
すまなかった、とかすかに唇を動かす。
ブラクストンは気付かない。
楽しそうに、話し続けていた。
act.03
(とても嬉しそうだ……)
ブラクストンの本格的な仕事復帰はまだ先だったが(クリスチャンの考えでは、だ)、ジャスティーンが暇つぶしになるような仕事を見つけてきたのだ。
よくある上流階級の人間のボディガードらしいが、こういう類いの仕事は圧倒的にブラクストン向きと言える。兄弟ともに父親から各国の言葉を話せるように訓練されていたが、ブラクストンはそこに加えて話術も巧みだ。
会話をあえて必要とする任務ではなくても、その技術は役に立つ。元々そういう任務が多かったのか、二つ返事で了承したブラクストンはすぐに現場であるパリへと飛んだ。
「パリは久しぶりなんだ」
ブラクストンを空港まで送っていく途中で、彼はそう言って懐かしいな、と続けた。
「あまり良い場所ではなかった」
「まあ、そうなんだけどさ」
子供の頃、自分が化け物だということを父親に思い知らされたのがパリだ。そのことは今でも何度でも思い出される。
ブラクストンはそれを承知しているのか、気遣わしくこちらを少し窺うように見たが、それでも、と続けた。
「兄貴のそばに一生いると決めた街だから」
俺にとっては、と。
クリスチャンは何と言って良いかわからず、そうか、と頷くにとどめた。そしてチラリと時計を見て飛行機の時間は大丈夫なのか、を問うた。
ブラクストンは「ま、関係ないか」と小さく呟き、それからぱっと表情を変えた。スマイルだ。
「じゃあ、行ってくるな。兄貴」
「ああ」
「”気をつけて”だろ?」
「そうだな、気をつけて」
「もちろん」
愛してるよ、といつもの言葉は唇の動きだけで伝えられた。クリスチャンはそれを受け止めて、真顔で頷く。そして、車を降りたブラクストンが後部座席に置いたトランクを下ろし、そのままあっという間に空港の混雑の中に消えてしまうのを黙ったまま見送ったのだ。
それが、四日前のことだ。
『私が危険な仕事を回すと思う?』
「僕が心配に思っているだけだ」
クリスチャンは後を追うようにパリに飛んだ。そして、ブラクストンの仕事ぶりを少し離れたところから観察していた。
双眼鏡で見ずともブラクストンの機嫌は最高に良い状態だった。任務もつつがなく進んでいるようで、自由な時間もほどほどにあるようで、街角のカフェで本を読みながらコーヒーを飲んだり、食べきれないのではないかと思われる量のケーキやマカロン、バターたっぷりのパンなどを買い込んでは滞在先に戻るなどしていた。
そして、スーツにシューズ、ネクタイ、カフスなどとっておきを着て行けるからなのだろう、クリスチャンの前で見せる歩き方ですらなかった。
どこにでも溶け込むことのできるブラクストンのことだ、武骨なボディガードを嫌う依頼主に合わせているのだろうが、まさに趣味と実益を兼ねているといった状況なのだろう。
「帰りの便を手配してくれ」
『今夜?』
「ああ」
『王子様、こんな時は声をかけてもいいんじゃない?』
「いや」
ジャスティーンはその短い拒否の言葉に、しばらくの間を空けて『ため息だわ』と返した。
「……とても楽しそうだ」
僕といる時よりもずっと。クリスチャンはそう呟くと、ブラクストンへの視線を切った。
やはりパリは良くない。
そう強引に結論付けて、区切りとすることにした。
一週間ほど後に、予定通りに帰国したブラクストンはブランケットを土産だと言うようにクリスチャンに手渡した。
「ブランケットは持っている」
「ああ、そうだな。でも手触りは気に入ってくれると思うけど?」
そう言われて触れてみると確かにそのなめらかさは今までのそれとはまったく違う。
「射撃訓練の時にでも」
「それなら、必要だ」
「荷台の上、寒いもんな」
「ああ、ありがとうブラクストン」
「どういたしまして」
ブラクストンは一連の流れの後、ぺろりと唇を舐め、それから片頬を上げた。
「それで、パリで何してたんだ?」
「……」
気付かれるようなヘマをした覚えはないが、ずっとパリにいる間は落ち着かなかったから何かの痕跡を残してしまったのかもしれない。眉間にぎゅっと皺を寄せたクリスチャンは答えを返さず、黙りこんだ。
「声かけてくれるの待ってたのに」
怒ってない、と笑いかけてくれるブラクストンにクリスチャンは黙ったまま、首をかしげる。
「兄貴に会いたかったからだよ」
「……おまえはとても嬉しそうだった」
「そうでもさ」
「服や靴にも、甘い食べ物の方が」
「次元の違う話だ」
ブラクストンはきっぱりそう言うと、意を得ず体を少しずつ揺らしはじめる兄の目をじっと見つめる。
それを受け止めきれないクリスチャンは目を伏せた。
何度もくりかえしてきたことだ。
「……服があるから同居できないと言った」
「どうにかして一緒のベッドで寝たくて考えた方便だよ」
「そうなのか?」
「ああ、そうだよ」
「僕にはわからない」
「知ってる」
「なぜ、はっきり言ってくれない」
会話というよりはずっと前のめりで言いつのるクリスチャンを適当にいなしていたブラクストンだったが、そこで一度言葉を止める。
そして、ふうっとため息をついた後、
「兄貴だってはっきり言わないじゃん」
ぐっと目を細めて、そう口にした。
「……」
ブラクストンは言葉をすっかりなくしてしまったクリスチャンに、俺のわがままだから気にしないで、と笑いかける。
そうではないはずだ。
ブラクストンはけしてわがままではない。いつだって彼が考えているのは、兄のことばかりだ。
それをクリスチャンは「知っていなければならない」そう思っていた。
兄だから、弟のことをわかってあげないと、と。
「と……都会に住もう」
様々なシミュレーションを考えただけでも、心配事や問題しか思い浮かばなかったが、もし仮にそうなれば、だ。
「ブラクストンは毎日好きな服が着られる……」
ああ、とブラクストンは頷いてくれた。そうなれば、毎日機嫌良く過ごしてくれるだろう。
「僕は毎日ブラクストンの笑顔が……見られる……」
ブラクストンはその声に、
「うーーーん、三十五点ってところだな」
百点満点で。
ブラクストンは一度天を仰いでから、少しばかり厳しい採点を下した。
そして、とんでもない計画を脳内で考えるあまりストレスがかかり、脂汗を滲ませたクリスチャンの額の汗を拭う。
「でも、嬉しい」
「落第点だ」
「それでもだ」
なぜならば。
ブラクストンは兄を「愛している」から。
「ここでいいからさ」
そしてぐっと目を細め、ブラクストンは指先に唇を押し当て、それからそこに息を吹きかけた。
投げキスだよ、と笑うブラクストンにクリスチャンは、一瞬心臓の動きを止められたかと思うほどの痛みを感じた。
「たまには一緒にでかけようぜ?」
それで十分だ、とブラクストンは当然の様に言って嬉しそうに笑った。
本当に、嬉しそうに見えた。
「ああ」
だけれどクリスチャンの脳裏の浮かんだフェイスマークは別のものだった。
「じゃあ、約束だ」
「ああ」
ブラクストンは二度ほど頷くと、愛してるよ、と言った。
ああ、僕もだブラクストン。
おまえを愛している。
しかし、クリスチャンの喉がそれ以上震えることはなかった。
これでは落第も当然だ、そう思った。
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ただただ書きたかったところだけを!
(いったい何の話なのか……)
ブラクストンくんのお召し替えが多かったのでついつい……
そろそろ出来上がってる二人を書きたいです……