※CWがなかったような、ちょっとだけあったかも?そんなふんわり良いとこどりした設定でのお話です。ブルックリンの外れに住んでます。
「二、三日出てくる」
その一言だけを残し、バッキーがどこかへ出かけて行ってしまったのは一ヶ月ほど前のことだ。何ごともなく帰ってきたこともあり、スティーブは詳しくを聞くことはなかった。どこへ行くんだ?と最初に聞けなかったから、というのが一番の理由だけれど、それを誰かに言って聞かせたこともない。
ただ、何となく喉の奥に何かがひっかかっているような、そんな落ち着かなさを抱えている毎日だ。結局、彼が帰ってきたのは出かけてから五日過ぎた日だったということも、スティーブの胸の内に少しばかりの影を落としている。
バッキーがウィンターソルジャーとしての記憶を持ったまま、簡単に言ってしまえば「正気」を取り戻して数ヶ月しか経っていない。アベンジャーズとしての任務にも参加し、こうしてブルックリンの外れに仕度したささやかな我が家(二人で住むには少々手狭なフラットだ)と本部を行き来しながら暮らしているが、そこにバッキー本人の意志がどれほどあるかはわからない。
スティーブが「こうしたらどうだろう?」という提案を、バッキーは「そうだな、それがいい」と受け入れてくれるばかりなのだ。
彼は、何かを強く望むことがなくなって、大きな口を開けて笑うことはなくなった。それでも少しずつ人間みのある表情を見せることはある。
おはようとおやすみ。
ちょっとした軽口に、腹が減ったと唸る時。
だけれど、もし、昔のバッキーならば「空白の五日間」がたとえあったとしても、きっと上手くフォローをしてスティーブを完璧に納得させたことだろう。
今の彼は少しずつ言葉が少なくて、一歩後ろを歩きたがってる気がする。
それに、再び供に過ごすことを決めた時に彼が口にしたのは、その事を喜ぶ言葉でも昔を懐かしむ言葉でもなかったのだ。
『発信器を体に埋め込んでくれ』
これが、ようやく見つける事が出来た、元は失ったかと思っていた親友の唇から紡がれた時、スティーブは胸に杭を打たれてもここまで痛くはないだろうと思った。
息をすることもままならず、言葉を失ったスティーブにかわり、冷静だった友人達がその依頼を請け負い手配することになったのだが、彼自身はそれ以来、この話題には一度も触れていなかった。考えることも避けていたかもしれない。
だから、一部に残されたシールドの組織にデータベースに彼の生命状態と位置は常に記録されているのだけれど、それを見ようと思ったことはなかった。
これ以上、自分の知らないバッキーを見ることも、かつてと同じ関係には戻れないという現実を突きつけられるのも避けてしまいたいと心の底では願っているからかもしれない。
それは、自分の弱さであり、今まで通りを望むのもこちらのエゴだ。自分もかつての鼻っ柱ばかりが強い頑固な正義感の強い少年ではない。
それはわかっているのだけれど、もう少し、自分に何か出来るのではないかと思っていた自尊心のようなものが揺らぎ、よりいっそうスティーブ自身を落ち着かなくさせていた。
今はまだ見守るしかないということも、わかっているのだけれど。
ふと、時間が空くとつい考えることは彼のことばかりになってしまっていた。
「スティーブ……?」
その声にはっと顔を上げると、目の前に頬杖をついたバッキーがいて、こちらの顔を覗き込んでいた。瞬きを五回ほど繰り返すうちに、ここがダイニングだということに気がつく。新聞を読むふりをしながら考え事をしているうちに、少し眠ってしまっていたらしい。
今日はすぐ向かいにバッキーも座っていて、熱いコーヒーを冷ましながら飲んでいて穏やかな時が流れていたせいで、油断してしまっていたらしい。
「……夜、眠れてないのか?」
少し身を乗り出して心配そうにこちらを覗き込んでくるバッキーの表情は、昔のそれと同じだ。熱を出し、すぐに寝込んでいたあの頃、いつも彼はこんな風に体を気遣ってくれた。
スティーブはそんなことをぼんやりと考えながら、首を横にふった。取り繕うまでもなく、その通りなのだけれど、答えは決まっていた。
「いや、大丈夫だ。少し今日は……のんびりできる日だから」
油断した、と肩をすくめて見せるがバッキーにはさほど通用しない。どうだか、と呆れたように眉を上げると、すっかり冷めたのだろう、コーヒーをごくごくと喉を鳴らして飲み干した。
「なあ、スティーブ」
そしてマグカップをテーブルの上に戻すと、バッキーは少し表情を改めてこちらをじっと見た。スティーブはその視線をほんの数秒しか受け止めることが出来ず、ごまかすように咳払いをするとその場で何度か座り直すような仕草を繰り返した。
「この間、少し出かけていただろう?」
しかし、バッキーは逃してくれるつもりはないようだ。一番スティーブにとって気にかかっていることで、一番目を逸らしたい出来事の話を持ち出すことに決めているらしい。
頬が上手く緩められずに、ずいぶんと引きつった表情になっていることだろう。
スティーブは降参だとばかりに両手を肩のあたりの高さまであげて、続けてと合図をした。
「探さないでいてくれたんだな……」
ほら、全部記録されているのに。
そう言ってバッキーは小首をかしげる。
「……まあね」
信用しているということを言いたかったわけではない。それを示すために、スティーブは目線を反らし、少しばかり不機嫌な表情になる。このもどかしい感情を言葉にする事が出来たなら良いのに、と毎日願うがそればかりは超人血清をもってしても、強化されることはないままだ。そこらを歩くご老人達よりもずっと頑迷なのだ、自分は。
スティーブは自己嫌悪をため息に混ぜ、バッキーの反応を待った。
「おかげで、……今日まで秘密にしておけたよ」
しかし、彼が口にしたのは思いもかけないことだった。
「秘密……?」
何の話だ?と顔をバッキーの方に向けたスティーブの目の前には、小さな箱が置いてあった。余計なものなど何も置いていないダイニングテーブルの上に置くにはふさわしくない、汚れのある箱だ。
バッキーは小さく頷いてから、その箱をそっと開いて見せた。
「……!」
そこには、手紙が入っていた。一通二通ではなく、ぎゅっと押さえつけてようやく箱の中に収まるような量だ。しかし、どれもきれいな状態とは言えず、くしゃくしゃに握り潰したようなものもあれば、真っ二つに破いてしまっているようなものもあった。
「……おまえに書いた手紙だよ」
掠れた声でそう言って、バッキーはその箱の上に真新しい封筒を載せた。
「ハッピーバースデー、スティーブ。まさかこうして……また……」
おまえが生まれた日を祝福出来る日が来るとは思っても見なかった、と言った。
「……ずっと、ノートに……思い出したことや考えたことを書き付けていたが……おまえに伝えたいことや、昔のことを書きたい時は……手紙にしていたんだ」
スティーブと比べてバッキーは筆無精だった。何度となく新兵訓練所や戦地に手紙を送り続けたが、返事があったのはほんの数回だった。
「おまえが手紙……?」
だから、思わずスティーブは目を大きく開いて、箱の中のものとバッキーの顔を交互に見比べてしまった。
「ああ、そうだ。……ずっと返事を書きたかった」
そう言ってバッキーは苦笑すると、ゆるく頭を振った。すべてを思い出したかどうかは、まだ当人にもわかっていないらしい。しかし、彼が目を細めて遠くを見始めると、少し置いていかれたような心地になるのは、気のせいではない。
だけれど、もう彼を手放さないということだけは心に強く誓っている。
なあ、バッキー。
話せることは全部、話して欲しい。
「……現実から少し距離を置きたい時に書いた手紙も多い。だから皆まで見なくても……」
夢物語か、大嘘か、どちらかだと言い切ったバッキーの言葉を否定するのは簡単だ。しかし、スティーブはそうしなかった。
テーブルの上に置かれていた手を上から握りこむようにして、呼吸の速さを合わせる。
「君が僕に見せたかったものや場所のことがたくさん……書いてあるんじゃないか?」
ヨーロッパ戦線の最前線から送られてきた手紙ですら、火薬のにおいもしなければ、憂いもないものだった。見たことのない花のこと、食べたことのない料理のこと。
バッキーが寄越したのは、豊かな紀行文のようなものだ。
スティーブは彼を一度失って気付いたのだ。自分が見ていた世界の彩りの半分はバッキーによって為されたものだということに。
だから、しばらく世界はスモーキーで、艶も輝きも見えなかった。
「……その通りだ、スティーブ……」
手紙の宛先は、世界のあちこちの私書箱行きで、五日間で彼はすべて回収してきたのだと言う。
「それなら……これから、少しずつ……見に行けばいいと思わないか?」
僕らはようやく、二人に戻れたんだ。
やんちゃで好奇心旺盛なブルックリンボーイズに。
「ああ……」
そうだな、という声は掠れてしまいバッキーはたまらず席を立つ。大股でどこかへ歩き去ってしまうのだろうかと腰を浮かせたスティーブだったが、彼は自分のすぐ側にやってきてくれた。
「……誕生日おめでとうスティーブ……こうして、祝福出来る日が……」
来るとは思いもよらなかった。
そう言ったバッキーははにかんだ笑みを浮かべながら、暇つぶしに良いだろ?たくさんあって、と手紙の入った箱を指先で軽くはじいた。
「ありがとう、バッキー……。君がそうして笑ってくれるのが嬉しい」
僕を見てくれるのが、嬉しい。
「……僕に君は希望をくれた」
それは俺には過ぎた言葉だ、とバッキーは足を一歩後ろに下げることで否定しようとしたけれど、スティーブはそうさせなかった。
腕を引き、力強く抱きしめる。
「もらった本人が言っているんだから、間違いないよ」
それから耳元でそう告げると、スティーブはもう一度、ありがとうと繰り返した。
去年の誕生日のことなど、少しも覚えていないのに、今日という日を忘れることは一生ないだろうと思われた。
なぜなら、彼がいるのだから。
目の前に、腕の中に。
彼がいるのだ。
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うきうきハッピーで明るい話書きなよ……
と、自分に言い聞かせてるところ!
せめてキスぐらいしてよ……!
というわけで、スティーブ、お誕生日おめでとうー!!!!!