RPS-AU Viggo/Sean『DESPERADO』#1

しばらく長編作品につきましてはこちらで連載しつつ、まとまったら加筆修正して本にするスタイルで行こうと思います。
どうぞよろしくお願いします!

act.00  Mumbled   @Malaga :Said By Viggo

 

 

「なあ、ジーザス……賢い、賢いおまえのことだ。もう、わかっているんだろう?」

車はゆっくりとアンダルシア大通りを進んでいく。前を走る車も、多分後ろも、それからすれ違う車も、どれもこれもここではないどこかを示すナンバープレートをぶら下げていた。

それもそのはず、ここはマラガ、「太陽海岸」コスタ・デル・ソルの中で一番の大都市だ。地中海沿いにぐるりと連なるリゾート地の中心で、少し高台に登りさえすれば、遠くに広大なアフリカ大陸を見ることだってできる、なかなかの街だ。

そんな中を走る埃まみれのプジョーのセダンはいつエンストを起こしても仕方がないくらいのポンコツだったが、俺はその助手席に十歳になったばかりの少年を乗せ、我が家、に向かって車を走らせていた。スピードもそれほど出ない、ハンドルの効きも甘い。動いているのが不思議なぐらいの代物だったが、青い空と青い海が目に入ればそれなりに気分も上がる。

まあ、俺だけに限った話だが。

少年はと言えば、だ。

まるでここが修道院でもあるかのようにしかつめらしい顔でかしこまっている。元々最近の子供にしては珍しいくらい古風なまでに凛々しい端正な顔立ちをしていたのだが、滅多な事でもない限りその頬を緩めることはなかった。

残念ながら俺は今まで一度として、彼の満面の笑みを見たことはない。言葉を積極的に発することすらも稀なことだったから、無理もないことかもしれないが。

今日は家のあるマルベーリャのはずれから小一時間離れたここまで彼のこれから通う学校の新学期に備えた買い物をしに来ていたのだが、一通りのものをそろえた時も小さくありがとうございました、と言っただけだった。

まったく、かわいくない。

「俺が何故、ここにいるかっていうことがだよ……」

そのかわいくない子供の本質をわかっているつもりだからこそ、漠然とした質問を繰り返す。

そんな大人げない俺の名前はヴィゴ・モーテンセン。少年は俺のことを名前で呼ぶことは滅多になく、ただミスタ、と短く呼び掛けるのがほとんどだった。俺も彼を本名のクリスチャン、と呼ぶことは滅多にない。

しかし、ある一人の男の前ではクリス、と親しげに呼び掛け、彼をごく当たり前の子供と同じように扱うことにしていた。きっと少年はそれを喜んではいないのだろうが、表だって嫌がるようなことはしなかった。素直に頷くことによって、当事者である俺と少年ではない、別の人間、つまりその「ある男」が喜ぶからだ。

そんなぎこちない関係である俺が、なぜ少年を「ジーザス」と呼ぶかを聞かれると、俺は一瞬視線をさまよわせることだろう。

俺は気付けば神の不在こそ信じるようになっていたが、このむっつりと唇を引き結んだ無表情の少年にだけは、いつか膝を折り、頭を下げ、様々な罪について懺悔をしなくてはらないと考えているからだ。

彼を唯一の救世主と思うわけではないが、

「……何のことですか?」

少なくとも、あいつにとってはそれに等しい希望だったのだ。

クリスの慇懃な態度は物心付いたときから身に付いていたよ、と彼は悲しげな顔をすることがある。もう少し歩み寄れたら、と毎晩のように悩んでいるのもよく知っている。それこそ眠れずに、目の周りを真っ赤にしている夜も。

だけれど俺はそんな彼を腕いっぱいに抱きしめてやりたいと思いながらも、実際はせいぜいにやにやと口の端で笑い、気にするなよ、と無責任な言葉を投げかけるだけだ。首筋がかっと熱くなって、その情熱の所在には気がついているのに、見て見ぬふりをするしか出来なかったのだ。

俺と男の間にあるカルマはあまりにも混沌としていて、あまりにも深かった。厄介なことに、少年との間にも同じくらいか、それ以上のものが横たわっている。

眩しい太陽と青い海。誰もが笑み崩れるリゾートで眉根を寄せ、唇を震わすだけの息を漏らすだけの日々を過ごす。

それこそ、罪深いと思わないか?

なあ、ジーザス。

「七つの大罪は言えるか?」

質問を変えた。少年は当たり前のように指折り一つずつ大きくない声で呟くように言う。

「高慢、嫉妬 、暴食、色欲、怠惰、強欲、憤怒……」

そう、間違いない。クリスチャンの視線はじっと正面を向いたままだ。もし誰かが俺の似顔絵を彼に描かせたとしてもきっと似ていないものができあがるだけだろうと思う。

それくらい彼はこちらを見ない、彼の世界は俺の隣にはないのだ。彼が求めるのはいつだって、今頃心配そうにそわそわと庭から表を伺うため出たり入ったりしている男のことばかりだ。

彼にとっての、聖母マリア様を。

「……悪いことばかりだとおまえは思うだろうがたいてい誰でも、一つや二つ、しでかしてるはずさ」

俺は大きく開け放した窓の外に視線を移して、それから足元にあるものと、後部座席に積んだ荷物のギャップについて考え、小さく息をつく。

ポンコツを更に改造した運転席のシート下には、ショットガンとサブマシンガンが納まっている。それから肩も凝ると言うのに、皮のダブルホルスターにはベレッタ92Fと、44マグナムがぶら下がっている。おかげで目もくらみそうな程の暑さを誇る、アンダルシアのフライパンの上で焼けただれそうになりながらも、麻のジャケットを羽織っていなくてはならない。

たいそう不便なのだが、仕方がない。

愛しい、愛しいマリア様の御身を守るためなのだから。

「あいつはきっとおまえを、そのどれからも遠ざけたかったろう……」

たとえ今更のことだとわかっていたとしても、だ。俺はその気持ちをわからないわけではなかったし、少年もまたその声にならない強い願いが胸に届いているのだろう。

「だから……、そういうのは全部俺が引き受けるから……」

さあ、断罪をするんだ。それが義務ってものだろう?俺は自分に向けて言い聞かせながら、少年に向かって話し続ける。

「……」

俺はもう少し冷静になれると思っていた。この話をしようと心に決めてから何度もシナリオを練っていたというのに、それがどうだ。

こんなにも声が掠れている、喉奥にも苦いものがにじんでいるような感覚がしているではないか。

「コルトのポケット・ガンだ。おまえさんへの進級祝いでくれてやる」

ダッシュボードにそう言いながら置かれた銃を見ても、少年は前を向いていたまま、何を言うでもなく、指の一本も動かそうとはしなかった。

「ただし弾は一発だけだ……」

ジーザス、俺はおまえの審判を受けるつもりで今日はマリア様をおいてきた。

「おまえの親父さんを殺したのは俺だ……。そしておまえの大事な大事なマリア様を俺のものにするつもりだ。その計画は半分は達成していると思うし、もう半分も近いうちにどうにかする。……ジーザス、いや、クリスチャン……」

マルベーリャにはじきにつくのだが、ドライブロードは海岸線をちんたらと続いていくだけで何もない。もし彼がやる気になるなら山の方へ方向を変えてもいい。バス停に近いところでないと彼は帰れないだろうが、それくらいの試練を乗り越えてくれなければやはり生きてはいけないのだ。あの哀れな男を守っていくことはできないのだ。

小型銃でも至近距離でぶっ放せばあっという間にあの世行きだ。さあ、どうする。

「………おまえにまかせる」

銃を握らせてやると真っ黒い瞳がこちらを見た。凛々しい眉目は将来性を強く感じる。きっとハンサムに育ってくれるのだろう。元より頭の出来は良く、まっとうな仕事にもつけるだろうと思う。その点では何の心配もなかったが、今は自分が必要とされていると思いたかった。甘ったるい感傷かもしれないが、俺は昔の自分とはきっぱりと決別したのだ。

変わったのだ、と以前の知り合いに一人ずつ言って回りたい、がそれは許されない立場にいた。

何もかも捨てて、ここにいるのだ。俺も彼もそして、マリア様も。

「機会は他にもありましたよ」

少年の声に抑揚は見られない。銃を一通り眺めると買ってやったばかりの鞄にしまった。スペインの学校へはよほどの忙しい人間か貧乏人でもない限りは親が送り迎えをする。結構いい年になるまでだ。おそらくその役目は俺ではない。

だから、次の機会、があるとすれば家の中でのことだろう。

「十五年、僕には必要です。」

「………なるほど」

その時彼は二十五歳、俺は六十歳手前のじじいになっている。それでも彼は一途にマリア様を想う気なのか、当たり前のことのように言ってのけた。

まあ、それもいい。

「十年ぐらいにまからんか?」

「……成長期次第ですね」

「なるほど。おまえもジョークを言えるようになってきたわけだな」

アンドロイド・ボーイと言われたこともあったと聞いた。そんな少年クリスチャンの頭をぐしゃぐしゃっと撫でると彼は嫌そうに身をよじる。十年後、はたまた十五年後、この馬鹿明るい太陽の下を同じようにドライブできるかはわからない。

しかし、猶予をくれたというわけだ。

「後悔はしてない」

エンジン音がだいぶ怪しくなってきた。一通りクリスチャンの買い物がすめば次は俺の移動用の車を買って欲しいのだが、お許しが出るかどうかはわからない。一応ねだっては見るつもりだったが。

「……当然でしょう」

あれだけのことをしたのだから、と冷たい目が言っていた。それでも彼は鞄の中から銃を取り出すことはしなかった。

「……父さんが何を考えていたのか、まだ僕にはわかりません。それをゆっくりと考えて、それから決めます」

クリスチャンの声に俺は声もなく頷き、煙草にそっと火をつけた。苦い煙が胸を満たしたが、やはり声は出なかった。審判は下されたらしく、俺は安堵にも似た脱力を覚え慌ててハンドルを握り直した。

「なんか冷たいものでも買って帰るか……」

ごまかすように言った独り言にクリスチャンからの返事はなかった。だが反対、ではないようで窓の外に顔を出して何か適当な店がないかと探し始めた。ほとんど街を歩かない彼には見つかりにくいだろうから、見つかるまでそこらをうろうろしてやろうと思った。

おそらく、ご馳走を支度してくれているだろう彼を喜ばせるために。クリスチャンが見つけたものならば、それがどろどろに溶けてしまっていても「おいしいよ」と言ってたいらげるに違いない。

かわいそうに、彼はまっとうな男だった。

すっかり指の先までならず者、の俺とは違って。

「ミスタ、あそこにマーケットがあります」

「オーケイ、覗いてみよう」

エンジンがバスン、と音を立てた。

「………くそったれが」

悪態をつく俺に少し笑みを漏らしたクリスチャンは戻るまで直してください、と言い残しマーケットの中に駆けていった。その後ろ姿はどこにでもいる十歳に見えて、目が熱くなった。

この拳銃はいつまでも、このまましまわれたままになるのだろう。

そんな答えを漠然とだが確信し、坊やが帰ってくるまでにどうにかしなくちゃならんとボンネットを開いた。焼き切れたコードをつないでやれば動きそうだった。

早く帰ろう、そして皆のスマイルを見よう。

地獄から這い上がってきたからこそ、見れる、そのスマイルを。

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